イスラーム教の誕生
アラビア半島西部の商業都市メッカにおいて7世紀初頭、預言者ムハンマドが唯一神アッラーの啓示を受け、共同体(ウンマ)を形成していく過程がイスラーム教の誕生である。部族的結束と多神的慣行が支配的であった社会に、絶対的唯一神と最後の審判、施しや正義を重視する倫理を携えた啓示宗教が現れ、信仰と法を統合した秩序が芽生えた。メッカの有力商人層と衝突しつつも、ムハンマドは神の言葉を伝え続け、やがて聖典クルアーンの核が形成された。この運動は宗教改革にとどまらず、政治・社会・法を包括する新たな文明圏の原点となった。
ムハンマドの啓示と初期の宣教
610年頃、ヒラー山の洞窟で大天使ジブリールを通じた最初の啓示を受けたとされる。ムハンマドは身内から密やかに説き始め、やがて公然の宣教へ移行した。早期信徒は血縁・同盟・従者など小規模であったが、貧者や弱者の救済、偶像否定、唯一神信仰の普遍性が支持を広げた。対照的に、カーバ神殿を中心とする巡礼経済と多神的祭祀に依存するメッカの支配層は利害の対立から迫害を強め、信徒の一部はアビシニアへ避難した。
ヒジュラとウンマの成立
622年、ヤスリブ(のちのメディナ)へのヒジュラ(遷移)は共同体成立の画期である。ムハンマドは部族間調停者として受け入れられ、信徒・ユダヤ教諸氏族・多神教徒を含む都市社会の規範文書(いわゆるメディナ憲章)を整備した。信仰共同体(ウンマ)は血縁より信仰を結合の原理とし、相互扶助・紛争解決・戦時の規律を定めた。礼拝の方向(キブラ)はやがてメッカへ定まり、宗教的象徴としての統一が進行した。
教義の骨格と宗教実践
クルアーンは断片的啓示の集成であり、唯一神・預言者の系譜・来世への責任・社会正義を繰り返し説く。ハディース(言行録)とスンナ(慣行)は規範の補完となり、信仰と法の体系化が進んだ。信仰の実践は「五行」に要約され、共同体の可視的な結束を生む。
- 信仰告白(シャハーダ)
- 礼拝(サラート)
- 喜捨(ザカート)
- 断食(サウム)
- 巡礼(ハッジ)
メッカの掌握とアラビア統合
メディナ期にはバドル・ウフド・ハンダクなどを経て軍事・外交の経験が蓄積された。629年のフダイビーヤ協定は一時的休戦ながら布教の自由を広げ、630年にはメッカが平和的に帰属した。偶像は破却され、カーバは唯一神礼拝の中心として再定義された。これにより、アラビア半島の諸部族はベイア(忠誠の誓い)を通じて統合へ向かい、宗教と政治の結節点にムハンマドの指導権が確立した。
初期拡大と共同体継承
632年のムハンマド逝去後、正統カリフ期のもとで共同体は継承され、離反部族の鎮定(リッダ戦争)を経て、シリア・イラク・エジプトなど周縁の大国領へ進出した。征服は単なる軍事行為ではなく、ジズヤやハラージュ等の財政枠組み、保護民(ズィンミー)の制度など、多宗教社会の管理に関わる法的装置を伴った。アラビア語行政の定着と貨幣改革は、宗教的メッセージを政治経済の制度へ翻訳する営みでもあった。
ムハンマド像と史料の問題
ムハンマド伝(スィーラ)やハディースは共同体内の記憶・法解釈・徳倫理の要となるが、伝承の真正性評価にはイスナード(伝承連鎖)批判が必須である。史学は啓示宗教の内的論理に敬意を払いつつ、異教徒史料や考古・文書学的成果を突き合わせ、初期イスラーム像の再検討を重ねてきた。クルアーン写本の古層分析や碑文資料の増加は、形成期の時間軸と地域差をより精密に描き出しつつある。
アラビア社会と宗教的革新の背景
商隊交易のネットワーク、オアシス都市の自立性、部族的互酬関係、偶像や聖所を介した祭祀経済は、啓示の受容と拡散の条件を整えた。ユダヤ教・キリスト教・ハニーフ的一神信仰の存在は、唯一神思想への準備土壌となり、ムハンマドの教説はそれらを再構成し普遍化した。アラビア語の詩的伝統は聖典言語の強靭さを支え、記憶と朗誦による教えの共有が共同体の結束を高めた。
制度化と法学の萌芽
礼拝・断食・喜捨の運用、婚姻や相続をめぐる規定、戦時と平時の規律は、クルアーンとスンナを基礎に法学(フィクフ)として体系化の端緒を開いた。慣習(ウルフ)や合意(イジュマー)、類推(キヤース)といった方法は後代に整備され、形成期の実践を原型としてイスラーム法文明の骨格が築かれた。都市モスクは礼拝・教育・司法・福祉の中核機関として機能し、宗教と公共圏の接合点となった。
時間軸と語彙の要点
610年頃:最初の啓示/622年:ヒジュラ(紀元元年)/630年:メッカ帰属/632年:逝去。主要語彙:クルアーン、スンナ、ハディース、ウンマ、ジズヤ、ハラージュ、ベイア、キブラ。これらは形成期の宗教・政治・財政・礼拝実践を読み解く鍵であり、以後の文明圏拡大を理解する際の基礎概念となる。