世界史

広開土王の碑|高句麗の王の軌跡,倭と百済の敗北

広開土王の碑 広開土王(好太王)碑は、中国吉林省鴨緑江岸に近い安県城東方にある石碑で、高句麗の最盛期を築いた第19代王広開土王の事績が記されている。王の死後の414年に吉林省集安市に建立された。 目次 日本への...
世界史

任那|古代日本(倭国)が築いた朝鮮・中国への拠点

任那 任那は4世紀ごろ、朝鮮半島南部の弁韓に形成された小国家連合である。加羅(加耶)とも称し、倭は任那を通じて、朝鮮半島と交渉をもった。562年、新羅に滅ぼされた。 目次 倭と朝鮮 大陸の文化 任那の滅亡 加...
世界史

班固(はんこ)|歴史書『漢書』の著者

班固(はんこ) 班固(はんこ)(32~92)は、後漢の歴史家である。武将・班超の兄で、父の志を『漢書』に著した。匈奴征討に従軍したのち、宮中の争いのあおりをうけ、竇憲の罪に連座して獄死した。『漢書』は司馬遷の『史記』に匹敵する歴史書で...
世界史

後漢|ローマ帝国へ、シルクロードを生んだ中国王朝

後漢 後漢は、新を倒した劉秀が再建した漢王朝である。都は洛陽におかれ、東漢とも呼ばれる。後漢は、家族連合政権の性格を持ち、前半は政治的に安定し、後半は積極的な政策を行い、西域経営を進め、シルクロードと呼ばれる、西側との交易の道を確立し...
日本史

倭国|古代日本に反映した連合国,漢委奴国王

倭国 倭国とは中国の古記録に見える.日本および日本人の呼称である。1世紀前後、古代の日本列島には当時、様々な小国によって連合国がなされており、中国の諸王朝その周辺の国はその連合国を倭国と称した。対外的に日本と名乗るのは7世紀唐の時代に...
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