百済

世界史

遣唐使|唐への使者派遣,犬上御田鍬,薬師恵日

遣唐使 7世紀、618年、唐が中国を統一したが、東アジアに広大な領地を治め、律令を中心とする国家体制を用いた。西アジアとの交流も盛んとなり、長安は世界の中心都市として国際的な文化が花開いた。日本は遣唐使と呼ばれる遣使を派遣した。630...
日本史

芝耆摩呂

芝耆摩呂(しきまろ) 芝耆摩呂(しきまろ)は百済の技術者である。芝耆摩呂は須弥山(しゅみせん)形の石像と呉橋を建造した。須弥山は仏教の説く世界観を具象化したもので、呉橋は中国風の橋のことである。芝耆摩呂は癩(らい)のため大和から追放さ...
宗教

観勒(かんろく)|遣隋使とともに来日した百済の僧

観勒(かんろく) 観勒(かんろく)は602年、遣隋使とともに来日した百済の僧である。百済からの文化使節として来日したが、このころ計画されていた百済と日本との新羅挟撃において、日本の軍事援助に期待する百済の代償という意味をもっている。 ...
日本史

味摩之|百済の伎楽舞

味摩之(みまし) 味摩之(みまし)は百済の伎楽舞の役者である。612年、百済から味摩之が来日し、大和の桜井に滞在している。伎楽舞とは、インド・チベット地方の民族舞踊が発達したもので、仮面をつけ、音楽にあわせて軽妙洒脱なコントを演じる。...