プラハ|ゴシックとバロック彩る中欧の古都

プラハ

プラハはチェコ共和国の首都であり、ヴルタヴァ川(モルダウ)沿いに広がる中欧屈指の歴史都市である。「百塔の街」と呼ばれる重層的な景観は、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロックから近代に至る建築が連続的に残る点に特色がある。旧市街・小地区・フラッチャニ(城地区)を核とする都市核は世界遺産に登録され、帝国の政治・宗教・学術の中心として発展してきた。現在も観光・金融・IT・クリエイティブ産業の結節点として国際的存在感を保つ。

地理と都市構造

プラハはボヘミア盆地の中央部に位置し、蛇行するヴルタヴァ川が街区を南北に貫く。右岸の旧市街・新市街、左岸の小地区・城地区という歴史的区分が都市の骨格で、丘陵上の城塞と河川横断の橋梁が景観を形成する。石畳の街路と広場がネットワークをなし、路面電車とメトロが面的に連絡する。内陸性だが川面の影響で比較的温和な気候を示し、冬季は霧が多い。

成立と中世の発展

プラハの起源は9世紀のプシェミスル朝による城塞建設に遡る。交易路の結節として市が成長し、13世紀に旧市街が自治特権を獲得した。14世紀、カレル4世は神聖ローマ帝国の重心をこの地に移し、1348年にカレル大学を創設、新市街の計画造成を推進した。帝都として学芸と商業が集積し、国際的な職人・商人・学徒が定住した。

フス戦争と宗教対立

15世紀初頭、宗教改革者ヤン・フスの思想はプラハで広がり、フス戦争へと発展した。市内では「窓外投擲」に象徴される対立が勃発し、市民軍は戦術革新で優位に立った。結果としてボヘミア王国の宗教多様性が一時的に拡大したが、政治的分裂と経済停滞も招いた。

ハプスブルク支配とバロックの繁栄

1526年以降、ハプスブルク家の支配下に入り、三十年戦争を経てカトリック復興が進む。宮廷・修道会が芸術を後援し、教会堂や宮殿が建てられ、プラハはバロック都市として再生した。ドーム、尖塔、装飾的ファサードは現在の景観的連続性の重要な層をなす。

近代化と民族運動

19世紀、産業化とチェコ民族復興運動が進展し、チェコ語の公的使用が拡大する。鉄道とブルジョワ公共空間の整備が都市構造を更新し、ネオ・ルネサンス様式の劇場・博物館が市民文化を象徴した。ドイツ語文化との相互作用は依然強く、二重言語的な都市性が特徴となった。

チェコスロヴァキアの首都

1918年、ハプスブルク帝国の崩壊により独立国家が成立し、プラハは首都となる。第二次世界大戦期の占領と戦後の社会主義化を経て、1968年には「プラハの春」が挫折。1989年のビロード革命で体制転換が達成され、1993年にチェコ共和国が発足して首都の地位を継承した。

文化・学問と芸術

中欧最古級の総合大学であるカレル大学は、学術研究と教育で国際的評価を得る。文学ではカフカやハヴェル、音楽ではスメタナ、ドヴォルザーク、ヤナーチェクらがプラハの文化的記憶を形づくる。美術・映画・演劇のフェスティバルが年間を通じて開催され、創造的都市としての連続性が保たれている。

建築景観と主要建造物

プラハの都市景観は様式の「層」として読解できる。以下は代表的な見どころである。

  • プラハ城と聖ヴィート大聖堂:王権・宗教・都市支配の象徴。
  • カレル橋:中世以来の石橋で、都市空間を横断する回遊の軸。
  • 旧市街広場と天文時計:時間と都市の儀礼を可視化する装置。
  • ユダヤ人地区(ヨゼフォフ):多文化・多宗教の歴史的証言。
  • ヴィシェフラド:伝承と防衛の要、河岸景観を統御。
  • 市民会館:アール・ヌーヴォーの市民都市理念を体現。
  • チェコ・キュビズム建築:前衛的造形が実作として残存。

経済と観光

今日のプラハ経済はサービス、観光、金融、ICT、スタートアップに支えられる。国際会議や学会の開催が多く、クリエイティブ産業やゲーム、映像制作も成長分野である。オーバーツーリズム対策として分散ルートの提示や公共交通の利便性向上、歴史地区の保存管理が重視されている。

交通と都市生活

プラハのメトロ(A・B・C各線)と路面電車は高頻度で運行し、空港連絡も良好である。中心部は歩行者優先の空間設計が進み、広場と公園が日常的な社交の舞台となる。カフェ文化とビール醸造の伝統が息づき、街路のスケール感は居住と滞在の快適さを両立させている。

言語と多文化性

チェコ語が公用語だが、歴史的にドイツ語・イディッシュなど複言語的土壌を持つ。現代のプラハは国際移動の結節点として多様な居住者を受け入れ、中欧的なハイブリッド文化を再編し続けている。こうした多層性こそが都市の復元力と創造性の源泉である。