IrDA
IrDA(Infrared Data Association)は、赤外線を用いた近距離無線通信規格を策定・推進する業界団体の名称、およびその団体によって定められた通信プロトコル群を総称する言葉である。ケーブルを使わず赤外線LEDやフォトダイオードを介してデータ転送を行い、かつては携帯電話やパソコン、プリンタなどでファイル送信や画像転送を手軽に実現できる手段として広く普及していた。本稿ではIrDAの登場背景や通信原理、応用例、そしてBluetoothやWi-Fiの台頭にともなう地位変遷などを概観し、近距離通信としての役割を整理する。
登場の背景
1990年代後半から2000年代初頭にかけて、携帯電話とパソコン間でアドレス帳や写真データをやり取りする際に「ケーブル接続なしで行えないか」というニーズが高まった。そこで赤外線通信を利用し、機器を向かい合わせるだけでデータ転送を可能としたのがIrDA規格である。技術的には1メートル程度の範囲で光が届く直線上で通信を行う仕組みを採用し、データのやり取りに必要なプロトコルスタックも定義した。ケーブルやドックを使わないシンプルさが受けて、モバイル機器を中心に急速に普及していった経緯がある。
通信原理
IrDAでは赤外線LEDが発する光をフォトダイオードが受光し、光信号をデジタル信号に変換する形で通信を行う。一般的には視認できない波長帯(850~900nm付近)が用いられるため、ユーザーに光が眩しく感じられることはない。高出力で長距離を狙う設計ではなく、あくまでデスク上などごく近距離で通信する用途を想定しており、指向性が強いことから複数デバイス間の混信も起きにくい。ただし通信するには送受信部をしっかり向き合わせる必要がある点が特徴であり、方向がずれるとデータ転送が途切れるリスクがある。
通信速度とバージョン
IrDAの通信速度は初期には115.2kbps程度が主流であったが、徐々に高速化が進み、4Mbps以上に対応するIrDA Fast Infrared(FIR)や16Mbpsに対応するIrDA VFIR(Very Fast Infrared)などの規格が登場した。速度向上により大きなファイルや画像データも転送しやすくなったが、赤外線の指向性と近接性は変わらず、利用場面は限定的なまま進んだ。一方でBluetoothなどの無線規格が普及すると、見通しの維持が必要であるIrDAは次第に市場での優位性を失っていった。
応用例と普及状況
携帯電話やノートパソコンの外装部にIrDAポートが搭載されていた時期には、名刺データや写真を転送するための「赤外線通信」が当たり前に使われていた。プリンタやハンディターミナルなどにも対応製品が存在し、ケーブルを持ち歩かずにデータを出力できる手軽さが受けていた。しかしながら、取り回しに工夫が必要で、かつ機器を正対させなければならないという点は使い勝手の面で制約が大きかった。のちにBluetoothやWi-Fiがポータブル機器に標準搭載されるようになると、背面同士を合わせるだけでなく、離れた位置でも通信可能な無線技術の利便性に押され、IrDAの存在感は大幅に低下した。
セキュリティと電力消費
IrDAは見通し距離が短く、狭いビーム角度で発光するため、物理的な盗聴リスクが低いことがメリットとして挙げられていた。目に見えない赤外線を間近で受光しないと通信できない特性が「自然なセキュリティ」とみなされ、社内文書のピア・ツー・ピア共有などに利用された事例もある。また、消費電力は比較的少なく、通信速度もミドルクラスであればモバイル機器のバッテリーを大きく圧迫しにくいとされていた。ただし、使用頻度が下がるにつれチップやポートの追加コストが相対的に問題視され、デバイスメーカーが非搭載とする方向へ流れる一因となった。
現状と今後
既に多くの市場ではBluetoothやNFC、Wi-Fi Directなどが主流となり、IrDAの利用シーンは大幅に縮小している。ただし、一部の医療機器や産業機器では、赤外線通信の干渉の少なさや電磁ノイズに強い特性を活かしてローカル通信に採用されるケースが残存している。また、リモコンやセンサなど赤外線を応用した応用分野は依然として幅広いため、低コストかつ視線を合わせれば確実に通信できるという特性を評価するニッチな領域では利用の余地が続く可能性がある。今後も標準規格そのものが廃止される見込みは薄いが、市場全体としては他の無線技術に置き換わる流れがなお加速している。