GATT|関税撤廃へ導く協定

GATT

GATTは関税と貿易に関する一般協定を指し、第二次世界大戦後の国際経済秩序の中核として、物品貿易の自由化とルール整備を担ってきた枠組みである。関税引下げを軸に差別の抑制と予見可能性の確保を図り、多角的交渉の積み重ねによって世界の貿易拡大を後押しした一方、サービスや知的財産など新領域への対応や制度面の限界も抱え、最終的にWTO体制へと移行する契機になった。

成立の背景

戦後の国際協調の理念のもとで、貿易障壁の引下げと景気循環の安定を支える制度が求められた。当初は国際貿易機関(ITO)の設立が構想されたが、批准の困難などから恒久機関としては実現せず、その間を埋める暫定的な協定として1947年に署名されたのがGATTである。1948年に発効し、物品貿易の分野で各国が共通のルールに基づき交渉を行う土台となった。

目的と対象領域

GATTの中心は物品貿易であり、とりわけ関税の引下げと税率の拘束(上限の約束)を通じて市場アクセスを改善する点に特徴がある。輸入数量制限などの非関税措置についても抑制原則を掲げ、差別的取扱いの縮減を通じて国際貿易の拡大を目指した。理念としては自由貿易を基調に置きつつ、各国の政策運営と折り合う範囲で規律を積み上げた点に歴史的意義がある。

主要原則

GATTの骨格は、差別を抑える原則と、約束の履行を担保する仕組みによって形作られる。とくに重要なのが次の考え方である。

  • 最恵国待遇:ある相手国に与えた関税上の有利な取扱いを、原則として全締約国に拡張する。

  • 内国民待遇:輸入品が国内市場に入った後は、国内産品と同等に扱い、国内税や規制で不利にしない。

  • 関税拘束と透明性:交渉で合意した税率上限を守り、制度の公表や通報を通じて予見可能性を高める。

  • 相互主義:譲許(引下げ)を交換しながら段階的に自由化を進める。

例外規定と安全弁

GATTは無制限の自由化を求めたのではなく、現実の政策需要に対応する例外を用意した。代表的には一般例外(公衆衛生、環境保全など)や安全保障例外があり、また急増輸入に対するセーフガード、補助金に対する相殺措置、ダンピングに対するアンチダンピング措置など、調整のための手段も整備された。これらは自由化を進めるための「安全弁」として機能する一方、運用が保護的になれば保護貿易を助長し得るため、解釈と手続の厳格さが常に争点となった。

交渉ラウンドの展開

GATTは多角的交渉ラウンドを通じて、関税引下げと規律拡充を積み上げた。初期は関税交渉が中心であったが、次第に非関税障壁や制度問題へと対象が拡大した。

  1. 1947年 ジュネーブ・ラウンド:発足と同時に譲許交渉を実施。

  2. 1964年-1967年 ケネディ・ラウンド:関税の一括引下げと反ダンピング規律の前進。

  3. 1973年-1979年 東京ラウンド:非関税障壁への規律(コード)を展開。

  4. 1986年-1994年 ウルグアイ・ラウンド:制度を抜本的に拡張し、WTO設立へ結実。

制度的特徴と紛争処理

GATTは当初、恒久的な国際機関というより、締約国会合を中心に運営される協定であった。紛争処理はパネル(小委員会)による事実認定と勧告が軸で、合意形成に依存する面が強く、当事国の同意が手続の進行や採択に影響しやすかった。このため、ルールの解釈が政治的駆け引きに左右される余地があり、貿易摩擦が深刻化する局面では実効性の不足が指摘された。

WTOへの移行とGATT 1994

1990年代に入ると、貿易の中心が物品だけでは捉えきれなくなり、サービス、知的財産、投資関連措置など新分野の規律が不可欠となった。さらに、非関税障壁の増加や地域的な貿易協定の広がりもあり、統一的で強固な制度設計が求められた。こうした要請を受け、ウルグアイ・ラウンドの成果として1995年にWTOが発足し、GATTは「GATT 1994」としてWTO協定の一部に位置付けられることで、物品貿易ルールの中核として継承された。

日本経済との関わり

日本は1955年にGATTへ加入し、高度成長期の輸出拡大と市場統合の流れの中で、国際ルールの枠内で貿易政策を調整してきた。関税引下げや通商摩擦の処理は、国内産業政策や農業政策との調整を伴い、国内制度の整備にも影響を与えた。とくに非関税措置をめぐる議論は、規格・認証、流通慣行、政府調達など多様な政策領域と結びつき、対外関係だけでなく国内の制度改革とも連動して展開した。

意義と課題

GATTの意義は、関税交渉を継続的に積み重ね、差別の抑制と予見可能性の確保という共通基盤を作った点にある。多角的な場を通じて各国が譲許を交換し、貿易の拡大が成長と分業を後押しする環境を整えた。一方で、協定としての暫定性、紛争処理の拘束力の弱さ、非関税分野の複雑化への対応の遅れなどが課題となり、より包括的で制度化された枠組みへの転換を促した。こうした歴史は、自由化の理念と国内政策の要請を調整しながら国際ルールを更新していく難しさを示している。