第2次五カ年計画
第2次五カ年計画は、ソビエト連邦がスターリン体制下で進めた国家経済計画であり、工業化の加速と社会主義的産業基盤の整備を目的として実施された。第1次計画期に形成された重工業偏重の路線を継承しつつ、輸送力や都市インフラ、一定の生活関連部門の拡充も掲げ、計画経済の制度をより深く社会に浸透させた点に特徴がある。
成立の背景と実施期間
第2次五カ年計画は一般に1933年から1937年にかけて実施された計画として理解される。前期に進められた五カ年計画によって、国家が投資と資源配分を主導する計画経済の枠組みが確立し、農村では集団農業の拡大が進んだ。これらの制度的転換を前提として、次期は工業の質量両面の拡充、輸送・エネルギーの整備、都市化の進展を一体で推し進める段階に入ったといえる。
目標と重点分野
第2次五カ年計画の中心は、引き続き重工業の増強である。資本財生産を拡大し、機械・金属・エネルギーなど基幹部門の自給力を高めることで、対外依存を抑えつつ国家の動員力を上げる狙いがあった。とりわけ、重工業の生産能力拡張は、軍備近代化や大規模建設を可能にする前提条件として位置づけられた。
- エネルギー・冶金・機械製造の増産と設備更新
- 鉄道・運河など輸送インフラの整備
- 都市インフラの近代化と労働力の配置転換
- 軽工業・食品など生活関連部門の一定の拡充目標
計画運営と国家統制の強化
計画の策定と配分は、国家計画機関であるゴスプランを中心に、各産業人民委員部や企業の指令系統を通じて実行された。投資は重点部門へ集中し、原材料・燃料・輸送力など不足しがちな資源は行政的配分によって調整された。企業側にはノルマ達成が強く求められ、達成度が評価・処罰と結びつくことで、現場は計画数字に追随する行動をとりやすくなった。
労働動員と生産規律
生産拡大を実現する手段として、労働規律の強化と動員が重視された。1930年代半ばには、模範的な高能率労働を称揚するスターハノフ運動が広がり、出来高や能率の向上が政治的にも宣伝された。他方で、過大なノルマ設定や現場の疲弊、技術・部品の不足によるボトルネックが生じ、統制と競争を同時に求める政策は摩擦も生み出した。
工業化の進展と都市化
第2次五カ年計画期には、鉄鋼、機械、化学、電力など基幹部門の増産が進み、工業中心の経済構造が一層強まった。新興工業地域の開発や既存拠点の拡張により、都市部への人口集中が加速し、住宅・交通・公共サービスの需要が急増した。象徴的な都市計画や地下鉄などの建設は、工業化の成果を可視化する政治的意味も担った。
農業と食料供給の位置づけ
農村では集団化の枠組みが既定路線となり、農産物調達と都市への供給は国家の統制下で運用された。工業化に必要な資本形成を支えるため、農業部門には厳しい調達が課されやすく、地域や年次によって供給の不安定さが残った。農業の機械化や生産性向上も目標とされたが、優先順位の高い工業部門への資源集中の影響を受け、計画通りに進みにくい側面もあった。
社会統制と政治的環境
第2次五カ年計画は経済政策であると同時に、社会全体の統合と統制を深める過程でもあった。計画達成は政治的忠誠と結びつけられ、失敗や遅延は「妨害」や「怠慢」として解釈される余地を持った。1930年代後半の大粛清へと連なる政治状況のもとで、管理者・技術者・党官僚の人事が大きく揺れ、現場は短期的な数字達成に傾斜しやすくなった。
国際環境と軍需への連動
1930年代の国際情勢は緊張を増し、工業力の増強は安全保障上の課題としても意識された。基幹産業の拡張、機械製造能力の増大、輸送網の整備は、平時の経済成長のみならず、有事の生産転換や動員体制を支える基盤となる。こうした連動は、国家が経済を「総力化」する方向性を強め、計画の優先順位をより硬直化させる要因にもなった。
歴史的意義と評価
第2次五カ年計画は、ソ連が工業国家としての輪郭を明確化し、計画経済の運用技術と統制機構を拡大した時期として位置づけられる。基幹産業とインフラの整備はその後の国家能力を押し上げた一方、ノルマ至上主義による品質・安全・供給の歪み、農村・都市生活の逼迫、統制強化と結びついた政治的緊張などの問題も内包した。こうした成果と負担の両面を抱えながら、国家主導の工業化モデルが社会の隅々まで浸透していったのである。