アフガニスタン|多民族国家と紛争の近現代史

アフガニスタン

アフガニスタンは、西にイラン、南と東にパキスタン、北に中央アジア諸国が接する内陸国家であり、古来より東西交通の要衝として発展してきた地域である。険しい山岳地帯と高原が国土の大部分を占め、歴史的にはシルク・ロードを通じて多様な民族と宗教が交差する場となった。そのため、政治的にはしばしば大国の角逐に巻き込まれつつも、独自の部族社会とイスラーム文化を保持し続けてきたのがアフガニスタンの大きな特色である。

地理と民族構成

アフガニスタンの地形は、ヒンドゥークシュ山脈を中心とする山岳と高原地帯が中心であり、平野は限られている。気候は内陸性で、夏は暑く冬は寒い。民族構成は多様で、パシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人などが主要な集団である。言語もパシュトゥー語とダリー語をはじめ複数が併存し、宗教はスンナ派イスラームが多数を占めるが、シーア派も少なからず存在する。こうした多民族・多言語社会は、政治秩序を不安定にしうる一方で、広い意味での中央アジア世界に属する多様性を体現している。

古代からイスラーム化まで

アフガニスタンの地は、古代にはアケメネス朝ペルシアやアレクサンドロス大王の遠征の影響下に入り、その後もヘレニズム文化やクシャーナ朝仏教などが交錯した。インドとイラン、さらには地中海世界を結ぶシルクロードの分岐路として、多様な商人と宗教者が往来し、ゾロアスター教や仏教など諸宗教が共存した。7〜8世紀になると、アラブ・イスラーム勢力が進出し、次第にイスラームが浸透していく。やがてこの地域は、イスラーム文明圏の一角として再編され、後世のイスラーム王朝の舞台となった。

遊牧帝国とイスラーム王朝の支配

中世以降、現在のアフガニスタン周辺は、ガズナ朝やゴール朝などトルコ系・イラン系のイスラーム王朝が興亡し、インド方面への軍事的・宗教的拠点となった。その後、チンギス=ハンのモンゴル帝国やティムール朝の支配を受け、破壊と再建が繰り返される。さらに南側ではインドにムガル帝国が、西側ではイラン系王朝が勢力を張り、両者の狭間としてこの地域は戦略的重要性を増していった。こうした遊牧帝国とイスラーム王朝の交代は、部族社会と都市社会が併存する現在の社会構造にも影響を残している。

近代国家の形成とグレート・ゲーム

18世紀後半、アフマド・ドゥッラーニーによってドゥッラーニー朝が建てられ、近代アフガニスタン国家の原型が形成された。19世紀に入ると、インドに進出したイギリスと、南下政策を進めるロシア帝国が、この地域をめぐって対立する「グレート・ゲーム」を展開する。英露はいずれも直接支配よりは緩衝地帯としてのアフガニスタンを重視し、しばしば戦争と条約を通じて国境線を引き直した。こうした過程で、国境は外部から画定される部分が大きく、現在に至るまで国境問題と部族の移動は政治的不安定要因となっている。

20世紀の政治変動

20世紀のアフガニスタンは、王政の改革とクーデターが相次いだ。第一次世界大戦後には、イギリスからの完全独立を主張する動きが強まり、1920年代には近代化改革が試みられたが、保守的勢力との対立から挫折も経験した。1973年にはクーデターによって王政が廃され共和政となるが、1978年の革命で親ソ連派政権が成立し、翌年にはソ連軍が侵攻する。これは冷戦構造のなかでの代理戦争の性格を帯び、ムジャーヒディーンと呼ばれるイスラーム武装勢力がソ連軍や政権軍と戦い、長期の内戦と混乱を招いた。

タリバン政権と国際社会

ソ連軍撤退後も内戦は続き、1990年代半ばにはタリバンと呼ばれるイスラーム主義勢力が台頭し、首都カーブルを制圧して「イスラーム首長国」を樹立した。タリバン政権は厳格なイスラーム法の解釈に基づく統治を行い、女性の社会参加や教育を大きく制限したため、国際社会から強い批判を受けた。2001年の米国同時多発テロを機に、アメリカを中心とする軍事行動が行われ、タリバン政権は一旦崩壊し、新たな政体のもとで復興が試みられた。しかし部族対立や武装勢力の活動、治安の不安定さは解消されず、タリバンも各地で勢力を保持し続けたため、国家建設は容易ではなかった。

経済と社会の特徴

アフガニスタン経済は、農業と牧畜を基盤とし、小麦や果樹、家畜などの生産が重要である。一方で長年の戦争によるインフラの破壊、地雷や不発弾の存在、治安不安により、近代的な産業の発展は大きく制約されてきた。また、違法薬物の栽培や取引が一部地域で重要な収入源となっており、国内統治と国際社会との関係に深刻な影響を与えている。地理的には中央アジアと南アジア、中東を結ぶ中継地として潜在的な通商ルートの利点を持つが、それを活かすには安定した治安と政治秩序が不可欠である。

歴史的背景とイスラーム世界

アフガニスタンは、長い歴史のなかで繰り返し大国の支配や干渉を受けながらも、部族共同体とイスラーム信仰に根ざした社会を維持してきた。スンナ派を中心とする信仰生活のあり方は、広い意味でのイスラム教世界と共通点を持つ一方、山岳地帯に展開する地域ごとの慣習法や部族規範も強く影響している。このような歴史的・社会的条件は、近代的な国民国家の形成を難しくしてきたが、同時に外部勢力に対する強い抵抗の源泉ともなっている。

  • ドゥッラーニー朝による国家形成
  • 英露対立期の「グレート・ゲーム」
  • ソ連軍侵攻とムジャーヒディーンの抵抗
  • タリバン政権の成立と崩壊

以上のように、アフガニスタンは、地理的条件と歴史的経験が複雑に絡み合う地域であり、現在に至るまで政治・社会の安定をめぐる課題を抱え続けている。その一方で、東西文明の交差点として培われてきた多様な文化と、強い共同体意識は、この国の歴史を理解するうえで欠かせない要素である。