南部諸州の復帰
南部諸州の復帰とは、南北戦争で敗北したアメリカ南部の旧奴隷諸州が、アメリカ合衆国(連邦)に正式な州として再び編入され、議会への代表権や自治権を回復していく過程を指す。これは単なる形式的な再入連ではなく、奴隷制の廃止と黒人の市民権を前提とする新たな合衆国秩序を受け入れるかどうかをめぐる政治闘争であり、再建期アメリカ社会の core となる問題であった。
南北戦争後の状況と再建の課題
南北戦争後の南部は、戦場となった結果として経済とインフラが崩壊し、奴隷制の廃止により労働体系も根本から揺らいだ。約400万の解放奴隷の地位をどのように保障するのか、旧奴隷主階級をどの程度政治に復帰させるのかが大きな課題となった。連邦政府にとって南部諸州の復帰は、反乱州をどの条件でふたたび「平等な州」と認めるかという憲法上・政治上の問題でもあった。
大統領復興計画と早期復帰の試み
リンカンの後継者ジョンソン大統領は、比較的寛大な条件で南部を早期に連邦へ復帰させようとした。忠誠宣誓と奴隷制廃止の承認を条件に、旧南部諸州に州政府を再建させ、合衆国議会への議員送出を認めようとしたのである。しかしこの方針のもとで樹立された州政府は、多くが旧支配層により主導され、黒人の権利を制限する「黒人法」を制定したため、北部の世論と議会共和党の強い反発を招いた。
議会派再建と厳格な復帰条件
急進派共和党を中心とする連邦議会は、大統領主導の方針を退け、いわゆる議会派再建を進めた。南部は一時的に軍政下に置かれ、新たな州憲法の制定と黒人の参政権保障を南部諸州の復帰の条件としたのである。連邦レベルでは憲法修正第14条によって市民権と法の下の平等が規定され、さらに第15条によって人種による選挙権剥奪が禁止された。これらの修正を批准することが、南部各州の再入連認可の前提とされた。
復帰の具体的条件と州ごとの再入連
- 合衆国への忠誠宣誓と反乱放棄の確認
- 奴隷制廃止(憲法修正第13条)の承認
- 黒人を含む男性への選挙権付与を盛り込んだ新州憲法の制定
- 憲法修正第14条・第15条の批准
これらの条件を満たした州から順に、合衆国議会は南部選出議員の議席を承認し、正式な復帰を認めていった。最後に復帰を認められた州が現れるまでにはかなりの時間を要し、南部諸州の復帰は1870年代初頭まで続く長期プロセスとなった。
黒人の市民権・参政権とその後退
議会派再建のもと、黒人は一時的に市民権と参政権を得て、州議会や連邦議会にも黒人議員が誕生した。この局面では、自由や平等といった価値が、後世のニーチェやサルトルの哲学的議論とも通じる普遍的テーマとして意識されたと見ることができる。しかし南部白人の抵抗は強く、クー・クラックス・クランなどの暴力団体が黒人と共和党支持者を弾圧し、北部の熱意が冷めるとともに黒人の政治的地位は徐々に後退していった。
経済再建と社会構造の変化
経済面では、南部はプランテーション奴隷制から小作農制度や賃金労働へと移行しつつ、綿花生産を中心とするモノカルチャー構造をかなりの程度引きずった。それでも鉄道建設や工場の導入が進み、レールや機械部品、ボルトなどの工業製品の需要が高まることで、ゆるやかな工業化が始まった。こうした変化の中でも人種間の経済格差は大きく、南部諸州の復帰がただちに社会的平等を意味することはなかった。
再建の終結と歴史的評価
1870年代後半、連邦軍の撤退とともに白人民主党政権が南部各州で復活し、ジム・クロウ法による厳格な人種隔離体制が確立した。このため南部諸州の復帰は、形式的には連邦の統一を回復しつつも、黒人の権利保護という点では不十分なまま終わったと評価されることが多い。他方で、市民権と平等をうたう憲法修正が制定されたことは、その後の公民権運動の重要な法的基盤となり、アメリカ合衆国の長期的な民主主義発展に大きな意味を持ったと考えられている。