メキシコ出兵
メキシコ出兵は、フランス皇帝ナポレオン3世が主導し、1860年代にメキシコへ軍事介入を行った出来事である。財政難に陥ったメキシコ政府に対し、フランス・イギリス・スペインが債権回収を名目に軍を派遣したが、最終的にフランスのみが介入を継続し、オーストリア大公マクシミリアンをメキシコ皇帝に据えて傀儡帝政を樹立した。この試みはメキシコ国内の激しい抵抗とアメリカ合衆国の圧力のもとで失敗し、1867年にマクシミリアンが処刑されて終結した。これは第二帝政期フランスの対外膨張政策の象徴であり、同時代の帝国主義的干渉の典型例として位置づけられる。
背景
19世紀前半のメキシコは、独立後も政情が不安定で、自由主義勢力と保守派が内戦を繰り返し、国庫は疲弊していた。1850年代後半の内戦を経て自由主義派のフアレス政権が成立したが、多額の対外債務を抱えており、1861年には債務支払いの一時停止を宣言した。これに反発したフランス・イギリス・スペインは、債権保全を名目としてメキシコへの共同出兵を決定した。とくにフランスのナポレオン3世は、ラテン系カトリック国家としてのメキシコを支援し、中南米にフランスの勢力圏を築く構想を抱いていたとされる。この構想は、欧州での支配体制を強化しつつ海外進出を図ったフランス第二帝政と第三共和政の流れの中で理解される。
三国共同出兵とフランス単独介入
1862年、フランス・イギリス・スペインの連合軍がメキシコ東岸のベラクルスに上陸し、政府に対して債務支払いの再開と安全保障を要求した。しかし、フランスがメキシコ政権の転覆と新たな帝政樹立を視野に入れていることが明らかになると、イギリスとスペインはこの方針に同意せず撤兵し、フランス軍のみが奥地への進軍を続けることになった。第二帝政期のフランスは、国内ではパリ改造やパリ万国博覧会開催などによって大国意識を高めており、強力な陸軍力と本国の経済力、さらには港湾と国内輸送網を支えたフランスの鉄道などを背景に、海外での威信拡大を狙ったのである。
マクシミリアン帝政の成立
フランス軍は当初、山地での戦闘や気候風土に苦しめられたが、徐々に内陸へ進撃し、1863年にメキシコシティを占領した。保守派勢力はフランスの軍事力を頼みとして自由主義政権を打倒しようとし、フランス側もカトリック保守勢力と結びつくことで支配を安定させようとした。その結果、オーストリア皇帝家出身のマクシミリアン大公がメキシコ皇帝に推戴され、1864年に帝政が宣言された。フランス皇帝ナポレオン3世にとって、これはヨーロッパの名門ハプスブルク家と連携しつつ中南米に友好皇帝を立てる試みであり、欧州列強間の勢力均衡と海外進出を組み合わせた壮大な構想であった。
抵抗運動と撤兵
しかしマクシミリアン帝政は、自由主義者フアレスを中心とする共和国派の激しい抵抗に直面した。山岳地帯を拠点としたゲリラ的戦闘が続き、フランス軍は広大な領土を維持するために多くの兵力と資金を必要とした。さらに1865年にアメリカ南北戦争が終結すると、アメリカ合衆国はモンロー主義の立場から欧州列強の中南米介入に強く反対し、フランスに撤兵を迫るようになった。フランス本国においても、戦費負担が重くのしかかり、他の外交問題やヨーロッパ情勢への対応の必要性から、ナポレオン3世はメキシコからの撤兵を決断する。1866年以降フランス軍は段階的に撤退し、1867年には駐留軍がほぼ完全に引き上げられた。
マクシミリアンの処刑と出兵の失敗
フランス軍撤退後、マクシミリアンはなおもメキシコにとどまり、わずかな支持勢力を糾合して帝政維持を図ったが、共和国軍の攻勢の前に追い詰められた。1867年、マクシミリアンは捕らえられて銃殺刑に処され、皇帝政権は崩壊した。この結果、フアレス率いる共和国政府が復活し、メキシコは内戦と外国干渉を乗り越えて主権を回復したことになる。一方でフランスにとってメキシコ出兵は、軍事力を誇示する試みが失敗し、財政負担と国際的信用の低下を招いた出来事として記憶されることになった。第二帝政期に国内で進められたパリ改造や、消費社会を象徴するデパートの発展などとは対照的に、対外政策面では大きな挫折であった。
国際関係への影響
メキシコ出兵は、国際関係の面でも重要な意味を持つ。第一に、アメリカ合衆国は南北戦争中こそ積極的に介入できなかったものの、戦後はモンロー主義を根拠として欧州勢力の中南米進出を強く牽制し、フランスに撤兵を求めた。このことは、19世紀後半以降のアメリカが西半球における優越的地位を確立していく出発点の一つとなった。第二に、フランスにとっては失敗した海外軍事行動として、のちの普仏戦争敗北とあわせて第二帝政の威信を大きく損なう要因となった。こうした対外政策の行き詰まりは、のちにフランス第二帝政と第三共和政への転換にも影響を与えたと理解される。
世界史における位置づけ
世界史的に見ると、メキシコへのフランス干渉は、19世紀帝国主義的政策の先駆的な事例であり、欧州列強が政治的不安定と債務問題を口実に他地域へ介入した典型である。また、ナショナリズムの高まりと共和国派の抵抗が、外から押しつけられた王政・帝政を退けたという点で、同時代のヨーロッパ諸国の動きとも呼応している。フランスは一方で英仏通商条約(1860)の締結やパリ万国博覧会の開催など、経済面・文化面での国際的結びつきを強めていたが、それと同時に軍事力による勢力拡大も志向していたのである。第二帝政の対外政策を理解するうえで、メキシコへの軍事介入は不可欠の事例であり、19世紀後半の国際秩序と主権国家のあり方を考えるうえでも重要な位置を占めている。
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