エルバ島
エルバ島はイタリア中部トスカナ州に属する地中海ティレニア海の島で、シチリア島とサルデーニャ島に次ぐ面積をもつ。イタリア本土から約10km沖合に位置し、風光明媚なリゾート地として知られる。同時に、1814年のナポレオンの最初の流刑地として世界史上も重要な場所である。
地理と自然環境
エルバ島の面積は約224km2とされ、中央部から西部にかけて山地が連なり、最高峰モンテ・カパンネは標高約1019mに達する。海岸線は入り江と小湾が多く、天然の良港ポルトフェライオをはじめとする港町が発達した。古くから農業と海運が島の経済を支えてきた。
古代から中世の歴史
古代にはエルバ島は豊富な鉄鉱石を産する島として知られ、エトルリア人やローマ人によって採掘が行われた。ローマ時代にはアエタリアと呼ばれ、鉄の供給地として本土の都市を支えた。中世に入ると島の支配権はピサやジェノヴァなど海洋都市国家の間で争われ、要塞や監視塔が築かれて海上交通の要衝として機能した。
近世とトスカナ支配
近世になるとエルバ島はスペインやトスカナ大公国など複数の勢力の影響下に置かれ、とくにポルトフェライオは要塞都市として整備された。18世紀末にはトスカナを経てフランスの影響力が強まり、フランス革命とナポレオン戦争の過程で島の戦略的重要性が高まった。
ナポレオンの流刑とエルバ統治
1813年のライプツィヒの戦いで敗北したナポレオンは、1814年のフォンテーヌブロー条約によって退位を余儀なくされ、その条件としてエルバ島の終身主権を与えられた。これにより島は名目的には独立した公国となり、ナポレオンはわずかな兵力と小さな宮廷を伴ってこの島で統治を開始した。
しかしヨーロッパの政治情勢は不安定で、ナポレオンは勢力回復を狙って1815年2月にエルバ島を密かに脱出し、フランス本土へ戻って百日天下を開始した。その最終的な敗北後、彼は大西洋の孤島セントヘレナ島へと再び流され、今度は生涯戻ることはなかった。
ウィーン体制とエルバ島の位置づけ
ナポレオン失脚後、国際秩序はウィーン会議で再編され、メッテルニヒやタレーランが主導した。その結果、エルバ島はトスカナ大公国を経てイタリア王国に編入され、地中海秩序の一部となった。