非国教徒
非国教徒とは、イングランドにおいてイングランド国教会に属さないプロテスタント信徒を指す歴史用語である。とくに17世紀後半の王政復古以降、国家が保護する国教会に対し、それ以外の改革派・独立派教会に属する人々が政治的・社会的に差別される文脈で用いられた。彼らは信仰上はプロテスタントでありながら、礼拝形式や教会統治の問題で国教会と対立し、しばしば議会政治・市民社会の発展と結びつけて論じられる集団である。
語義と用法
語としての非国教徒は、「国教会に属さない者」という広い意味をもつが、歴史学では主としてイングランド国教会に対する「非国教徒」を指す。ここには、会衆派、バプテスト、クエーカーなど多様なプロテスタント諸派が含まれた。カトリック教徒も国教会に属さない点では同様であるが、政治的・法的な扱いが異なるため、研究上は区別して扱われることが多い。日本語の教科書では、「非国教徒(ディセンター)」あるいは「非国教徒(ノンコンフォーミスト)」と補足されることもある。
宗教改革から王政復古までの背景
イングランドでは16世紀の宗教改革により国王を首長とする国教会が成立したが、改革の徹底を求めるピューリタンや長老派などの急進的プロテスタントは、礼拝形式や教会制度をめぐって国教会と対立した。17世紀半ばの清教徒革命期には、こうした急進派が政治の前面に出たが、王政が一時的に廃止される非常事態であり、その後の王政復古によって国教会体制が再建されると、国教会から離脱して独自の礼拝を続ける人々が非国教徒として一括して捉えられるようになった。
王政復古体制と非国教徒
チャールズ2世の下で成立した王政復古体制は、議会と協調しつつも国教会を政治秩序の基礎とみなし、礼拝統一法など一連の立法を通じて国教会以外の礼拝を制限した。このとき国教会に従わず、自前の集会や牧師をもつ人々が、体制側から非国教徒として問題視された。彼らはしばしば国王や国教会への忠誠が疑われ、治安や秩序を乱しかねない存在と見なされたため、強い監視と統制の対象となったのである。
審査法と権利制限
審査法などの立法は、官職就任者や議員に国教会での聖餐受領を義務づけることで、事実上非国教徒を公職から排除した。これにより、地方行政や軍、大学など多くの公的領域で国教会信徒が優遇され、非国教徒は出世や学問の道を閉ざされやすくなった。こうした制度は、17~18世紀のイギリス議会政治の確立と並行して維持され、宗教的多数派による政治支配を支える仕組みとして働いた。
- 官職・議会からの排除
- 大学や都市自治体への就任制限
- 礼拝所・牧師登録への監視と規制
名誉革命と宗教的寛容の拡大
1688年の名誉革命後、議会はプロテスタントの統一を図る観点から、トーリ党とホイッグ党の妥協のもとで寛容法を制定した。この寛容法は、一定の条件を満たす非国教徒に公認された礼拝の場を認め、当局による弾圧を緩和した。しかし、審査法自体は長く存続し、国教会礼拝に参加しない者は依然として公職から排除され続けたため、完全な信教の自由や政教分離にはまだ遠かったといえる。
非国教徒の社会的基盤
非国教徒は、とくに都市の商工業者や中小地主など、新興のブルジョワ層・市民層と結びついていたとされる。彼らは勤勉・倹約を重んじる倫理観を持ち、独立した経済活動を展開することで、国教会や王権から一定の距離を保とうとした。また地方では、在地のジェントルマンの一部が非国教徒となり、地域社会の指導層として議会政治や地方自治の発展を支えた。こうした基盤の上に、のちの選挙改革運動や宗教的寛容を求める運動が生まれていく。
政治・文化への影響
非国教徒は、学校や慈善事業の運営を通じて教育・文化の発展にも貢献した。国教会系の大学に入学できない若者のために独自の学院を設立し、近代的な学問や職業教育を提供したことは、イギリス社会の多様化と近代化を促す要因となった。また、彼らが経験した差別と排除は、信教の自由や良心の自由をめぐる論争を活性化させ、のちに広く認められる宗教寛容の理念を先取りするものとなった。この意味で非国教徒は、イングランド国教会中心の秩序に挑戦しながら、近代的な市民社会と議会政治の成立に重要な役割を果たした集団である。