スペイン王国|統一王権・帝国拡張・近代化

スペイン王国

スペイン王国は、カスティリャとアラゴンの王位合同(1479)を基点に、レコンキスタ終結(1492)と海洋進出を通じてヨーロッパと大西洋世界の覇権を担った近世王権である。カトリック両王の下で半島の再統合が進み、16世紀にはハプスブルク家の即位により汎欧州的な権力圏を形成した。アメリカ大陸からの銀は国家財政と宮廷文化を支えたが、同時に構造的な脆弱性も生んだ。18世紀にはブルボン朝の行政改革、19世紀には立憲体制の模索、20世紀には独裁と王政復古を経て現在の議会制君主制に至っている。

成立と王位合同

1469年のフェルナンド2世(アラゴン)とイサベル1世(カスティリャ)の婚姻は、1479年に両王国の王位合同として結実した。両者は「カトリック両王」と称され、制度上は同君連合のまま各王国の法・議会・租税体系を保持したが、軍事・外交の統一運用により半島支配の実効性を高めた。1492年のグラナダ陥落でレコンキスタは終結し、同年のコロンブス西航により大西洋帝国形成の道が拓かれた。この過程でスペイン王国は宗教的規範と王権強化を結びつけ、近世国家の枠組みを固めた。

帝国化とハプスブルク期

カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)はヨーロッパと新大陸を結ぶ広大な王権を継承し、フィリペ2世は宮廷と官僚機構を整備して統治の集権化を進めた。レパントの海戦(1571)でオスマン帝国に勝利し、1580年にはイベリア同君連合の下でポルトガルを併合した(1640年離脱)。同時にメキシコ銀・ポトシ銀の流入が財政を潤し、セビーリャは大西洋貿易の中心港として繁栄した。だが1588年の「無敵艦隊」敗北は対英海上覇権の限界を露呈し、以後の長期戦争は国家財政に負荷を与えた。

宗教・社会政策

イベリア再統合の一環として異端審問所が拡充され、改宗ユダヤ教徒・イスラーム教徒に対する監視が強化された。1609年からのモリスコ追放は宗教的一体性の強化を狙ったが、地方産業や農業に人的資源の空洞化をもたらした。教会と王権の協働は統治正統性を支えつつも、地域の多様性と緊張を併存させた。これらの措置はスペイン王国の統合理念を示す一方、長期的には経済・社会構造に歪みを残した。

財政と経済構造

銀の大量流入は物価革命を誘発し、実体経済よりも歳入の外部依存を強めた。王権はアルカバラ(売上税)や関税で歳入を確保する一方、戦費調達のため外国商人・銀行家への債務が累積した。1557年、1575年、1596年にはデフォルト(支払停止)に陥り、国内産業はメスタ(羊毛生産体制)偏重や製造業基盤の脆弱性から競争力を欠いた。セビーリャの独占貿易と植民地産金銀は短期的繁栄をもたらしたが、長期的発展のボトルネックともなった。

17世紀の試練と再編

三十年戦争と連続する対外戦争は軍事・財政的負担を増大させ、カタルーニャ反乱やポルトガル独立(1640)によって支配の再編を迫られた。ウェストファリア条約(1648)は欧州秩序を画し、17世紀後半には覇権の相対的後退が明瞭となる。ハプスブルク直系が断絶(1700)すると、スペイン継承戦争(1701–1714)を経てユトレヒト条約(1713)が成立し、領土割譲と通商権(アシエント)をめぐる国際秩序の中でスペイン王国の地位は再定義された。

ブルボン改革と啓蒙専制

ブルボン朝はヌエバ・プランタ令により地方諸特権を整理し、官僚制・租税・軍制の近代化を推進した。カルロス3世の時代には港湾や道路の整備、商工業振興、学術・慈善事業の保護が進み、植民地行政も再編された。とはいえ、旧来の社会的結合と地方多様性は強く、改革は折衝と妥協を重ねて進行した。18世紀のスペイン王国は、欧州列強の一角として体制整備と帝国維持の均衡を図った。

19世紀の転換

ナポレオンの侵攻(1808)は半島戦争を引き起こし、カディス憲法(1812)は国民主権と立憲主義の原点となった。だがラテンアメリカの独立運動により帝国は大幅に縮小し、国内ではカルリスタ戦争を含む王位継承・政治体制をめぐる対立が続いた。議会主義と君主制の調和を模索する中で、政教関係・地方自治・経済近代化が主要課題となり、19世紀末の米西戦争(1898)で残存植民地を喪失した。

20世紀から現代

1931年に共和政が成立するが、内戦(1936–1939)を経てフランコ独裁が樹立された。1975年のフランコ死去後、フアン・カルロス1世の下で王政が復古し、1978年憲法は議会制君主制と広範な自治州制度を確立した。1986年のEU加盟以降、欧州統合の枠内で政治・経済の安定化と分権秩序の運用が進む。現代のスペイン王国は、歴史的多様性と地域自治、欧州連帯を柱とする成熟した立憲国家である。

文化・学知・記憶

黄金世紀にはセルバンテス、ベラスケス、エル・グレコらが活躍し、大学サラマンカは学知の拠点であった。サンティアゴ巡礼路は宗教的実践と文化交流を促し、騎士修道会や都市同職組合は社会秩序の中核を担った。帝国の拡張と縮減、宗教改革と対抗宗教改革、内戦の記憶は、文学・美術・史学を通じて今日まで語り継がれ、スペイン王国の歴史的自己像を形成している。