ヴェルダン条約|843年帝国三分で独仏系譜始動

ヴェルダン条約

ヴェルダン条約は843年、カロリング朝の三兄弟であるロタール1世・ルートヴィヒ2世(ドイツ人ルートヴィヒ)・シャルル2世(ハゲのシャルル)が、カール大帝の遺産であるフランク王国を三分して相互の支配権を確定した協定である。皇帝位は兄ロタール1世が保持しつつ、領土は西・中・東の三つに分割され、西フランク・中部フランク(ロタリンギアを含む)・東フランクという地域秩序が形成される。ヴェルダン条約は、フランスとドイツという後世の国家形成の分岐点として重視され、言語・法慣習・司教区の線引きにも長期的影響を与えたと評価される。

成立の背景

カール大帝の死後(814年)、帝位を継いだ敬虔王ルートヴィヒ1世の治世では、相続をめぐる内紛が頻発した。833年以降、兄弟たちは諸侯・司教の支持を争い、842年の「ストラスブールの誓い」では古フランス語と古高ドイツ語で相互に忠誠を誓い合う事態となる。こうした政治・言語の分岐が固定化する中で、843年にヴェルダン条約が締結され、長期化した内戦に終止符が打たれた。

条約の分割内容

分割の骨子は、皇帝ロタール1世がイタリアを中心とする中部フランク(ロタリンギア・ブルグンド・プロヴァンスを含む帯状の領域)を、シャルル2世が西フランク(セーヌ・ロワール流域を主核とする西域)を、ルートヴィヒ2世が東フランク(マイン・ドナウ流域を中心とする東域)をそれぞれ領有するというものであった。皇帝位とローマとの結節は中部フランクが担い、王国としての自立性は西・東両フランクが強める構図が生まれた。

地理的境界と主要都市

国境は大河・山脈・古来の司教区境界を参照しつつ引かれた。中部フランクは北海からローヌ・アルプス・イタリア半島へと細長く延び、ロタリンギアの中心都市としてメス、トリーア、リエージュなどが重視された。西フランクはパリ、ランス、ルーアンが、東フランクはレーゲンスブルク、フランクフルト、アウクスブルクが要地となり、都市ネットワークの差異化が進む。

政治秩序への影響

ヴェルダン条約は、単なる領土分割にとどまらず、封建的主従関係の再編と伯領・司教領の再配置を促した。西フランクでは王権と諸侯の交渉が常態化し、のちのカペー朝成立へとつながる基盤が形成される。東フランクではザクセン系王権の台頭とオットー帝国(神聖ローマ帝国)への道が拓かれた。中部フランクは帯状の地形的脆弱性から分裂傾向が強く、地域的アイデンティティを異にする諸侯・司教の利害が錯綜した。

社会・文化への波及

分割後、法慣習・通貨・度量衡・修道院ネットワークの調整が王国内で進められ、言語境界も緩やかに固定化した。西ではロマンス系、東ではゲルマン系の言語圏が可視化され、聖職者教育や写本文化も地域色を帯びる。ヴェルダン条約は、均質な「帝国」像から多元的な「王国」像への転換点として、中世ヨーロッパの多様性を準備した。

研究史と史料

同時代編年記や王令、後代の系図・地図資料の再検討により、従来の「整然たる三分割」像は修正されている。実際には伯領・修道院領・司教区の越境権利が複雑に絡み、ヴェルダン条約は包括的な原則を示したのち、現地交渉で細部が詰められた。さらに「フランス・ドイツの起源」という国民国家的ナラティブへの批判もあり、地域史・境界研究の文脈で再定位が進む。

条約の骨子(要点)

  1. 皇帝位はロタール1世が保持し、中部フランクの帯状領域を統治
  2. 西フランクはシャルル2世、東フランクはルートヴィヒ2世が領有
  3. 国境線は河川・山地・司教区境界を参照し、都市圏の重心が分岐
  4. 封建的主従関係と教会権益の再配分が進行
  5. ヴェルダン条約を基点に、中世ヨーロッパの多様な政治文化が展開

関連年表

  • 814年:カール大帝死去
  • 842年:ストラスブールの誓い(兄弟の相互誓約)
  • 843年:ヴェルダン条約で三分化成立
  • 855年:プリュム分割で中部フランク再分割
  • 870年:メルセン条約でロタリンギア再配分
  • 880年:リブモント条約、境界再調整の継続

ロタリンギアの脆弱性

中部フランク(ロタリンギア)は北海からイタリア北部へ伸びる回廊で、商業・司教区・街道が集中する一方、軍事的に分断されやすい。結果としてプリュム分割・メルセン条約以降も分裂と再編が繰り返され、境域の不安定さが長期化した。

ストラスブールの誓いの意義

842年の誓いは、兄弟が異なる言語で誓約文を朗読した点で象徴的である。これは政治的同盟の確認であると同時に、言語共同体の意識化を示し、翌843年のヴェルダン条約における分割正統化の前提ともなった。

「三分割」像の再考

教会領・伯領・修道院の保有権はしばしば越境的で、単純な国境線では捉えきれない。最新研究は、ヴェルダン条約を静態的な国境確定ではなく、交渉・調停が続く動態的プロセスの起点として把握している。