高宗
高宗は中国の唐の第3代皇帝で、諱は李治である。649年に父の太宗(李世民)の後を継ぎ、683年まで在位した。治世の前半は「貞観の遺産」を継承して法制と官僚機構を整え、後半は皇后の武氏(のちの則天武后)の台頭により「二聖臨朝」と称される共同統治の様相を帯びた。対外的には百済・高句麗を滅ぼして東アジア秩序を大きく組み替え、安東都護府の設置などを通じて朝貢・軍事・交通のネットワークを再編した。この過程で高宗はしばしば「天可汗」の称を帯び、内陸アジアに対する宗主権的地位を示した。
出自と即位
高宗は628年生まれで、太宗の第九子とされる。当初は太子に立たなかったが、兄たちの失脚を経て正統な皇太子となり、649年に即位した。即位後は父の遺臣である長孫無忌ら重臣を重用し、継承初期の政治的安定化を図った。650年に永徽へ改元し、法典整備や科挙運用の規範化を進め、前代の「貞観の治」で形成された統治理念を制度面で定着させた点に高宗の特色がある。
内政と制度整備
高宗期には永徽律(一般に永徽律令と総称)などの法制が整理され、三省六部の手続や中央・地方の行政線がいっそう明確化した。均田制・租庸調制は基礎的な租税・兵役の枠組みとして維持され、府兵制を背景に辺境統治のための都護府・都督府が運用された。選挙(科挙)は貴族的推薦と併存しながらも着実に拡充し、政治倫理の教訓書としては『貞観政要』が引き続き参照された。これらの諸施策により、太宗期に形作られた「能吏主義」と法令主義が、日常行政の基盤として社会に浸透したのである。
武后の台頭と「二聖臨朝」
後宮では武氏(則天武后)が頭角を現し、655年の皇后冊立以降、長孫無忌の失脚(659年)などを通じて政界における発言力を急速に強めた。高宗は持病により親政が難しい局面も多く、やがて皇帝と皇后が並び立つ「二聖臨朝」の体制が成立する。これは象徴秩序の再編だけでなく、人事・詔令の流れに変化をもたらし、後年の周(武周)建国の制度的前提を整えることになった。とはいえ、高宗自身の治世においては唐の国号と基本制度は維持され、宮廷儀礼・仏教護持・祥瑞政治などイデオロギー面の演出も強化された。
対外政策と東アジア秩序の再編
高宗期の対外政策は東方での軍事行動が中心である。660年、唐軍は新羅と連合して百済を滅ぼし、663年の白村江の戦いでは倭・百済再興勢力を破った。さらに668年には高句麗を滅ぼし、旧領には安東都護府を設置して軍政・民政を監督した。これらは高宗の時代における対外支配の制度化を示し、東アジアの勢力分布を大きく塗り替えた。他方で新羅との緊張も生まれ、唐の直接支配と同盟国の自立志向との調整が課題となった。西域では安西都護府の整備が進み、隊商路の保護や辺境防衛が図られ、広域交通の結節点としての大運河や関中の集配機能も活用された。
- 660年:百済滅亡、新羅との唐・新羅連合が成立
- 663年:白村江の戦いで倭・百済再興軍を撃破
- 668年:高句麗滅亡、安東都護府を設置
- 西域:安西都護府を拡充し交通と防衛を統制
年号の変遷と政治動向
高宗の治世では改元が頻繁で、天変・政策・儀礼の節目に応じて年号が改められた。永徽(650-655)・顕慶(656-661)・龍朔(661-663)・麟徳(664-665)・乾封(666-668)・総章(668-670)・咸亨(670-674)・上元(674-676)・儀鳳(676-679)・調露(679-680)・永隆(680-681)・開耀(681-682)・永淳(682-683)と続き、政治的主導権の移ろいを映し出している。特に龍朔・麟徳期以降は、宮廷内外における武氏の影響力が一層可視化され、詔令文体や人事の傾向にも変化が現れた。
評価と歴史的位置
高宗はしばしば父太宗の英名や則天武后の異例の即位に隠れがちである。しかし、法制と官僚制の定着、東方における領域支配の制度化、そして都護府体制の運用といった長期的な枠組みを完成させた点で、高宗の治世は唐帝国の実質的な「確立期」に位置づけられる。百済・高句麗の滅亡は東アジアの地政環境を根底から変化させ、唐の宗主権的秩序を押し広げた。同時に、同盟国や周辺諸勢力の自立的動向との相克も顕在化し、以後の国際関係に複雑な課題を残した。
諡号・廟号・陵墓
高宗の廟号は「高宗」、諡は「天皇大帝」などと伝わる。陵は陝西省の乾陵で、則天武后と合葬されたことで知られる。父祖の李淵・李世民の創業・経営の成果と、後世の武周を含む制度的展開の結節点に高宗の治世が位置したことは、唐という王朝の長期持続を理解する上で重要である。また、対外行動の集大成としての高句麗遠征は、前代からの構想を継承しつつ実行段階に移したものであり、国家の軍事・財政・交通の総合力を示す事例といえる。ゆえに高宗は、創業者の事業を制度として固定化し、帝国秩序を外部へ展張した「第二の建設者」と評しうるのである。
関連と参照
制度の継承と革新という観点からは唐の国家構造、前代の貞観の治と『貞観政要』、人物史では太宗・李世民・李淵、対外史では高句麗遠征や天可汗の称号の問題(天可汗)が理解を助ける。