アマルナ美術
古代エジプト第18王朝期の一時代、特にイクナートン(アメンホテプ4世)の治世に花開いた美術様式を指すのがアマルナ美術である。従来の王権美術が重視してきた威厳あるプロポーションや様式化された描写とは異なり、より写実性や親密さを強調する点が特徴的である。王族の姿を人間的に描く手法や、家族の情愛を表現する描写などが顕著に見られ、エジプト美術史の中でも異端ともいえる大きな転換を象徴している。
誕生の背景
アマルナ時代の幕開けは、新王国期において絶大な権力を誇ったアメン神官団の影響力を削ぐために、ファラオイクナートンがアテン神信仰を推し進めたことに起因する。伝統的中心地であったテーベを離れ、ナイル中流域に新たな都アマルナ(アケトアテン)を築いたことから、この美術潮流は「アマルナ美術」と総称されるようになった。彼の宗教改革に伴う社会変革が、美術や工芸の領域にも大きな影響を与えたのである。
【紀元前1343年】
エジプト王イクナートン(19)が、都をテーベからアマルナに移しました。独特の美術様式が流行し、「ネフェルティティ像」などが制作されています。
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(01/29.17:00) pic.twitter.com/JWL5TkVSx4— 4000年間新聞 (@4000nen_) January 29, 2025
作風の特徴
最大の特徴は写実的で柔和な造形にある。従来のファラオ像が厳かで理想化された姿を示していたのに対し、この時代のレリーフや彫像では、高い頬骨や長い顔立ち、官能的な腹部などが誇張される場合もあるが、全体としては人間味あふれる表情が表現される。さらに王族が団欒する場面、特にイクナートンと王妃ネフェルティティ、王女たちが共にいる家庭的な様子が度々描かれる点もアマルナ美術の大きな特徴といえる。
ルクソール西岸のクルナ村にあるツタンカーメン王の次の王、アイ王の治世のアメン神の書記、ネフェルへテプの墓(TT49)でこのほど20年以上の歳月を経て保存修復作業が完了しました。アマルナ美術の面影を残す美しい壁画が描かれています。一般公開するといいですね。
— 河合望 Nozomu Kawai (@kingtutmystery) February 12, 2024
王妃ネフェルティティの存在
アマルナ美術を語る上で重要なのは、強大な政治力をもって改革を支えた王妃ネフェルティティである。彼女の胸像をはじめとする数々の彫像は、後世の芸術愛好家に高く評価され、その優美な横顔と気品ある佇まいは世界的に知られている。従来の美術様式ではファラオが際立つ存在として描かれがちだったが、この時代には王と妃がほぼ対等に描かれるケースが増え、女性の権勢と美を讃える新たな価値観が示唆されている。
アマルナ時代の美術を卒論にした私、いくつかこの時代の品もあって感激しました…右レリーフはネフェルティティ王妃の横顔♡ pic.twitter.com/odyZoKoOsI
— 玉卯???? (@Tamaunotamau) February 4, 2025
代表的作品
- ネフェルティティ胸像:写実性と優雅さを兼ね備えた代表作として著名
- イクナートン一家のレリーフ:アテン神の恩恵を受けながら家族が交流する珍しい場面
- アマルナ出土のタイルや小彫像:家庭や宮殿を彩った精巧な工芸品
宗教改革との関係
強大なアメン神官の影響力を排するため、ファラオ自らがアテン神に捧げる新たな祭祀空間をデザインしたことが、美術の変遷を促進したと考えられる。伝統的に大切にされていた神像の威厳や、王が絶対的神性をもつ存在であるという表現がやや後退し、より人間的な姿や身近な場面がクローズアップされたのである。このような宗教的・社会的改革が美術と不可分に結びつき、アマルナ美術は独自の価値観を創出した。
それではここで、アマルナ美術を代表するアクエンアテン(ツタンカーメンの父)像を見てみましょう。 pic.twitter.com/IRZDuFARHa
— 喜久里 亮 (@Ryo_Kikusato) February 25, 2025
後世への影響
イクナートンが崩御した後、彼の政策はほぼ否定され、都アマルナも放棄されてしまった。アテン神信仰に関わる資料は意図的に破壊され、多神教中心の在来宗教が再び主流に戻ったため、アマルナ美術は断続的な継承にとどまった。それでも写実的な表現技法や、王族の自然な姿を描く風潮は完全には消え去らず、エジプト美術全体の発展に多様性をもたらしたと評価される。
よく見ると、眼球の部分が立体的に彫り出されており、写実を旨としたアマルナ美術の影響がラメセス朝でも残り続けていた事が伺える。 pic.twitter.com/GQLRMv2DXg
— K.N (@KN84331768) March 31, 2025