欧米国民国家の形成
本項では1欧米国民国家の形成として、近代世界史における重要な転換点である国民国家の成立過程を概観する。近世の王権国家から近代の国民国家へといたる過程は、啓蒙思想、市民革命、産業革命、そしてナショナリズムの高揚が複合的に作用して進行したものであり、その帰結として、欧米諸国では主権国家と「国民」が結びついた政治秩序が形成されたのである。
国民国家の概念
国民国家とは、一定の領域に住む人々が、同一の国民として政治的に統合され、その上に中央集権的な主権国家が成立している体制を指す。ここでいう「国民」とは、身分や地域を越えて共通の法律の下に服し、選挙や徴兵などを通じて国家に参加する成員を意味する。絶対王政期の国家は、王と臣民の関係を単位としており、法や税制も身分ごとに異なっていたが、国民国家では「国民」という単位に統一される点に特徴がある。
このような国民国家のイメージは、啓蒙思想や近代の哲学的思索の蓄積を前提としている。個人の自由と理性を重んじた思想は、後世のサルトルやニーチェといった近現代思想家にも継承され、国家と個人の関係を問い直す重要な問題系を形成した。
市民革命と国民主権
欧米の国民国家形成の起点として、アメリカ独立革命とフランス革命が挙げられる。アメリカ独立革命では、植民地社会の人々が「代表なくして課税なし」を掲げ、本国イギリスからの独立を通じて共和国を樹立した。ここでは、成文憲法の制定と権利章典の導入により、人民の権利と統治機構が明文化された。
フランス革命は、アンシャン・レジームの身分制社会を崩壊させ、「自由・平等・博愛」の理念と国民主権の原理を打ち出した。人権宣言は、人間と市民の権利を普遍的にうたい、主権が王ではなく国民に存することを明らかにした。この理念は、ヨーロッパ各地に波及し、民族運動や自由主義運動の理論的基盤となった。後にニーチェが指摘したような近代価値観の再検討も、こうした市民革命の成果を前提として展開したのである。
ウィーン体制とナショナリズムの高揚
ナポレオン戦争後のウィーン会議では、旧王侯の権威を回復し、ヨーロッパの秩序を再建するウィーン体制が築かれた。この体制は君主間の協調によって革命と戦争を抑えようとするものであり、自由主義や民族自決の要求は弾圧の対象となった。しかし、ナポレオン支配の経験によって多くの地域で民族意識が刺激されていたため、抑圧はかえって各地のナショナリズムを強める結果ともなった。
とくにドイツやイタリアでは、多数の小国家に分裂した状況のもとで、言語・文化の共通性を基盤に統一を目指す運動が高まり、学生や知識人、都市の市民層を中心に民族国家を志向する思想が広がった。こうした過程は、後世の実存的な国家批判を行ったサルトルらが議論の対象とした近代国家像を形づくっていく。
イタリアとドイツの統一
19世紀後半、イタリアとドイツでは武力と外交を通じて統一国家が実現した。イタリアでは、サルデーニャ王国を中心に、カヴールの外交とガリバルディの軍事行動が結びつき、最終的にローマを首都とする王国が成立した。ドイツでは、プロイセンのビスマルクが「鉄血政策」とよばれる軍事・外交戦略を展開し、デンマーク戦争・普墺戦争・普仏戦争を経てドイツ帝国を樹立した。
これらの統一運動は、軍事力と官僚制を軸とする上からの統合であった一方、学校教育や徴兵制を通じて国民を国家に組み込んでいった点に特色がある。工業化の進展にともない、鉄道網や工場、標準化された機械部品やボルトのような工業製品が広く流通し、経済的にも統一市場が形成されたことが、政治的統合を支える基盤となった。
イギリスとフランスにおける国民国家化
すでに議会政治の伝統を持っていたイギリスでも、19世紀には選挙法改正が繰り返され、参政権が都市労働者や農民層に拡大していった。これにより、政党政治が発展し、国民の意見を議会を通じて反映させる仕組みが整えられていく。また、海運業や工業力を背景に世界的な植民地帝国を築き、帝国意識とナショナリズムが結びついた特殊な国民国家が形成された。
フランスでは、革命と帝政、王政復古、七月王政、第二帝政といった政体の変転を経て、最終的に第三共和政が成立した。普仏戦争敗北後の苦境のなかで、義務教育制度や徴兵制が整備され、共和国体制を維持するための国民教育が重視された。このような「共和国的ナショナリズム」は、後にニーチェやサルトルが批判的に検討した近代国家と個人の関係を象徴する事例となる。
アメリカ合衆国の国民国家化
アメリカ合衆国では、独立後しばらくは州の自立性が強く、中央政府の権限は限られていた。しかし、西部開拓の進展と市場経済の拡大に伴い、連邦政府による統一的な政策が求められるようになった。19世紀半ばの南北戦争は、奴隷制をめぐる対立と州権と連邦権限の対立が結びついた大規模な内戦であり、その帰結として連邦政府の優越と奴隷制廃止が確立した。
南北戦争後、鉄道網の整備や工業化によって国土は一体的な市場として統合され、移民の流入も含めて多様な住民が「アメリカ人」として国民国家に組み込まれていった。他方で、先住民への圧迫や黒人差別の持続という問題も抱え、自由と平等を掲げる国民国家と社会的現実との矛盾は、後に思想家や作家たち、たとえばサルトルの植民地批判などの議論の中で鋭く問われることになる。
国民統合の手段とその影響
欧米における国民国家の形成は、単に政治制度の変更だけでなく、人々の意識と日常生活の変化を伴っていた。多くの国で義務教育制度が導入され、標準語教育を通じて共通の言語と歴史認識が普及した。徴兵制は、身分や地域を越えて同じ軍服を着た兵士を生み出し、国旗や国歌への忠誠を共有させる役割を果たした。新聞や雑誌といったマスメディアは、同じ出来事を共有して語る「想像の共同体」を形成する装置として機能した。
- 義務教育による国語・歴史の統一
- 徴兵制・軍隊を通じた身体的統合
- 鉄道・郵便・新聞による情報と空間の統合
- 工業製品やボルトの標準化に象徴される市場の統一
こうして成立した国民国家は、20世紀の世界大戦や帝国主義、さらには全体主義の出現に深く関わっていく。近代ナショナリズムの光と影を批判的に検討したニーチェやサルトルの思想は、欧米における国民国家の形成過程そのものが、その後の思想史と政治史の大きな論点であり続けていることを示しているのである。