革新党|改革と社会正義を掲げる政治勢力

革新党

革新党は、アメリカ合衆国で1912年に結成された第三政党であり、英語名のProgressive Partyの日本語訳である。共和党の有力政治家であったセオドア=ローズヴェルトが、保守化した党主流派と対立して離党し、新たに結成した政党で、独占企業の規制や福祉政策、女性参政権などを掲げた進歩的な政党として知られる。短命な政党であったが、20世紀初頭のアメリカ政治における「進歩主義」の到達点を示し、その政策は後の民主党政権や福祉国家の形成に大きな影響を与えたと評価されている。

成立の背景

19世紀末から20世紀初頭のアメリカ合衆国では、急速な工業化と都市化が進み、大企業によるトラストの形成、貧富の格差の拡大、劣悪な労働条件などが深刻な社会問題となった。この状況に対して、汚職の是正、行政改革、独占規制、社会立法を求める「進歩主義」と総称される改革運動が広がり、その一部は共和党・民主党双方の改革派政治家に受け継がれた。セオドア=ローズヴェルトは、大統領在任中に独占企業の規制や労働争議の調停など「スクエア・ディール」と呼ばれる政策を推進し、進歩主義の象徴的存在となったが、後継者であるタフト政権がより保守的な方向に傾いたことで対立が深まった。この対立が1912年共和党大会での候補者選出をめぐる分裂に発展し、ローズヴェルトは党主流派から排除される形となったため、新党として革新党を組織するに至ったのである。

結成と党名・綱領

革新党は1912年夏、シカゴで開催された大会において正式に結成された。英語名はProgressive Partyであり、「進歩」や「改革」を前面に出した党名であったが、日本語ではしばしば「革新党」と訳され、既存の二大政党に対する体制改革勢力として位置づけられた。ローズヴェルトは記者から健康状態を問われた際に「雄牛(ブル・ムース)のように元気だ」と答えたことから、この政党は俗に「ブル・ムース党」とも呼ばれた。党綱領は、大企業と富裕層に偏ったアメリカ社会の構造を是正し、市民の政治参加と社会的公正を拡大することを目的としていた。

  • 連邦政府による独占企業・トラストに対する強力な規制と監督
  • 労働者保護法、児童労働の禁止、労働災害補償制度など社会立法の推進
  • 女性参政権の全国的な承認と選挙制度の民主化
  • 上院議員の直接選挙制、住民投票・国民発案・リコールなど直接民主制的制度の導入
  • 自然資源の保護や国立公園の整備など環境保全政策

こうした綱領は、大統領権限と連邦政府の役割を積極的に拡大させて社会問題の解決にあたるという構想であり、ローズヴェルトの掲げた「新国家主義」を体現するものであった。他方で、企業活動そのものを全面的に否定するのではなく、規制のもとでの市場経済を前提にしていた点で、社会主義勢力とは一線を画していた。

1912年大統領選挙

1912年の大統領選挙では、共和党からは現職のタフト、民主党からはウッドロウ=ウィルソン、社会党からはユージン=デブスが立候補し、革新党はセオドア=ローズヴェルトを候補として擁立した。選挙戦では、ローズヴェルトが精力的な遊説を行い、都市部の中産階級や改革派知識人、農民や労働者などから幅広い支持を得たが、共和党との間で支持層が分裂したことにより、結果的には民主党のウィルソンが勝利することになった。もっとも、得票数においてはローズヴェルトがタフトを上回り、野党候補としては異例の支持を集めたことから、二大政党制のもとでも第三政党が一定の影響力を持ち得ることを示す選挙となった。

衰退と解党

1912年選挙後も、革新党は連邦議会や州知事選挙での候補者擁立を続けたが、組織基盤は弱く、資金面でも共和党・民主党に比べて不利であった。1914年の中間選挙では目立った成果を上げることができず、地方レベルを含めて党勢は徐々に後退した。1916年の大統領選挙に際して、党内では再びローズヴェルトを候補に推す動きがあったものの、彼自身は共和党候補のヒューズ支持へと傾き、多くの支持者も共和党や民主党に復帰した。この過程で革新党は事実上の解党状態となり、短期間で政治史の表舞台から姿を消した。

アメリカ政治史における意義

革新党はわずかな期間しか存在しなかったが、その掲げた政策や政治理念は、その後のアメリカ政治に大きな影響を残した。女性参政権や社会保障、独占規制など多くの要求は、やがてウィルソン政権やフランクリン=ローズヴェルト政権の改革によって部分的に実現し、福祉国家的な政策体系へとつながっていく。また、直接民主制的な制度の導入や、市民による政治参加の拡大を重視する姿勢は、20世紀以降の民主主義理論や社会運動にも通じるものであった。当時ヨーロッパで台頭した社会批判の思想家ニーチェなどと同様に、既存秩序への批判と新しい社会像の模索という点で、革新党は近代世界の改革の一局面を示す存在であったと言える。さらに、二大政党制の枠内においても、第三政党が政策議題を提示し、大政党に改革圧力をかける役割を果たし得ることを示した点でも、アメリカ政治史における重要な事例と評価されている。

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