開戦に関する条約(ハーグ条約)
開戦に関する条約(ハーグ条約)は、1907年の第2回ハーグ万国平和会議で採択されたハーグ諸条約の一つであり、国家間の武力紛争において「いつ」「どのように」戦争状態を開始したとみなすかを定めた国際条約である。正式には「開戦に関する条約(第3条約)」と呼ばれ、従来慣行に依存していた宣戦布告の手続きを明文化し、奇襲的な開戦を抑制しようとした点に特徴がある。
成立の背景
19世紀後半、国家間の戦争は依然として合法的手段とみなされていたが、その開始手続きは必ずしも統一されていなかった。宣戦布告なしに開始された戦争は、軍人・民間人の区別を曖昧にし、戦争責任の所在も不明瞭にするとの批判が高まった。国際社会では、国際法の整備を通じて戦争のルールを明確化しようとする動きが強まり、1899年と1907年のハーグ会議で多くの戦時国際法条約が締結された。その中で開戦に関する条約(ハーグ条約)は、宣戦布告手続きに的を絞り、戦争開始時点の法的安定性を確保することを目的として制定されたのである。
条約の基本構造
開戦に関する条約(ハーグ条約)は比較的短い条文から成り、主として3つの柱を中心に構成されている。第1に、武力紛争は明白な警告なしに開始してはならないこと、第2に、その警告の形式を定めること、第3に、宣戦布告等の通知を中立国に伝達する義務を定めることである。これにより、戦争の開始が「いつからか」という点を明確にし、交戦国だけでなく中立国にも法的判断の基準を与える意図があった。
宣戦布告と開戦手続き
条約第1条は、締約国間の敵対行為は「先行する明白な警告」なしに開始してはならないと定める。その警告の方法として、条約は次の2つを認める。
- 正式な宣戦布告による警告
- 条件付き宣戦布告を含む最後通牒(最後通牒を拒否した場合に開戦する旨を明記した通告)
いずれの場合も、相手国政府が戦争開始の意思を明確に認識しうる形で行われなければならないと解される。また条約第2条は、宣戦布告や最後通牒による開戦の通告を、できるだけ早期に中立国へ通知する義務を定める。これにより、中立国は自国の国際法上の権利義務(通行許可、輸送制限、貿易規制など)を判断できるようになり、開戦に伴う国際秩序の混乱を軽減しようとしたのである。
適用範囲と限界
開戦に関する条約(ハーグ条約)は、ハーグ会議で署名し批准した国々の間でのみ法的拘束力を持つ。そのため、非締約国との紛争や、条約発効前の戦争には直接適用されない。また、条約は「事前の警告」を義務づけるが、実際の歴史においては、武力行使が事実上先行し、後から宣戦布告がなされる例も見られた。この点で、条約は理想と現実の乖離を完全には埋めきれなかったと評価される。一方で、条約の存在は、少なくとも形式上は宣戦布告を無視した奇襲的行動に対する批判の根拠を与え、戦争開始の正当性をめぐる議論に影響を与えたといえる。
第一次世界大戦と条約の意義
1914年に勃発した第一次世界大戦では、多くの参戦国が条約に基づいて宣戦布告を行ったものの、そのプロセスは複雑で、軍事動員や国境での小規模衝突が宣戦布告と前後して進行した。結果として、「戦争がいつ始まったのか」をめぐる解釈は一様ではなかったが、それでも開戦に関する条約(ハーグ条約)が示した原則は、戦争開始を法的・外交的行為として捉える枠組みを定着させたと評価される。戦争状態が明示されることにより、捕虜の扱いや敵性資産の処理など、他の戦時国際法条約を適用するタイミングも判断しやすくなったのである。
戦争違法化への流れとの関係
20世紀前半、国際社会は次第に戦争そのものを違法化する方向へ進んだ。第一次世界大戦後には国際連盟が創設され、戦争回避のための紛争解決手続きが制度化された。さらに第二次世界大戦後には国際連合が設立され、国際連合憲章は武力行使の一般的禁止と、集団安全保障の原則を掲げるに至った。この過程で、戦争開始手続きそのものを定める開戦に関する条約(ハーグ条約)の意義は相対的に小さくなったものの、「開戦は明示されなければならない」という考え方は、国家の行動を透明化し、責任を明確にするという点で、現在の国際秩序にも通じる発想である。紛争の平和的解決を目的とする常設仲裁裁判所や、後の国際司法制度ともあわせて理解されるべき条約といえる。