重金主義
重金主義とは、国家の富を金銀などの貴金属の保有量によって測ろうとする経済思想であり、とくに16〜17世紀のスペインやポルトガルで強くみられた考え方である。国際収支や生産力よりも、まず金銀の流入そのものを重視し、征服や植民地経営、貿易黒字を通じて金銀を国内に蓄積することが国家政策の中心に据えられた点に特色がある。
歴史的背景
大航海時代に入り、イベリア半島の諸国はアメリカ大陸の征服と開発を通じて、膨大な金銀をヨーロッパにもたらした。とくにスペインは中南米の銀山を支配し、巨大な銀の流入を背景にヨーロッパ政治で覇権的地位を獲得した。この過程で、国家の富は領内に保有する貴金属の量によって決まるという発想が強まり、こうした思想・政策の総体が重金主義とよばれるようになった。
思想的特徴
- 富の源泉を農業や工業などの生産活動ではなく、金銀という貴金属そのものに求める。
- 国際経済の中で金銀は流出すれば国が貧しくなり、流入すれば豊かになると考え、貴金属の国外流出を極度に警戒する。
- その結果、対外貿易は「金銀獲得の手段」とみなされ、他国から金銀を吸い上げることが理想とされた。
このように重金主義は、後の産業や貿易の振興を重視する重商主義と比べると、より単純に金銀獲得へと傾いた初期の経済思想として位置づけられる。
政策内容
重金主義にもとづく具体的な政策としては、次のようなものが挙げられる。
- 金銀貨の国外持ち出し禁止や厳格な管理による、貴金属の国内への囲い込み。
- 植民地における金銀鉱山の開発奨励と、その収益の本国独占。
- 征服戦争や賠償金の獲得など、軍事力を通じた金銀の取得。
- 対外貿易において、金銀を流出させる取引を制限し、金銀の受け取りを伴う取引を重視する姿勢。
これらの政策は、貨幣制度や対外経済政策に大きな影響を与え、ヨーロッパ諸国の外交・軍事にも直結した。
スペインとポルトガルの重金主義
16世紀のスペインはアメリカ大陸の銀に依存し、金銀の大量流入によって一時的な繁栄を享受したが、国内産業の育成は十分に進まなかった。膨大な金銀はヨーロッパ各地での軍事費や輸入品の支払いに充てられ、やがて他国へと流出していった。また、ポルトガルもブラジルの金鉱・ダイヤモンド鉱を開発し、金銀獲得を最優先とする政策をとったが、長期的には本国の産業基盤が弱いままにとどまった。
影響と問題点
重金主義的な政策は短期的には国家財政を潤し、王権の強化や戦争遂行を可能にしたが、長期的には次のような弊害を生んだ。
- 大量の金銀流入は物価上昇を引き起こし、いわゆる「価格革命」とよばれるインフレを促進した。
- 金銀獲得に依存することで、農業や手工業など基礎的な生産部門の育成がおろそかになった。
- 財政赤字や対外債務が蓄積し、スペインなどでは国家財政の破綻が繰り返された。
このような問題から、単純な金銀偏重の政策では国家の持続的な繁栄は得られないとの反省が広まり、産業振興や貿易拡大を重視する方向へと議論が移っていった。
重商主義との関係
重金主義は、しばしば重商主義の一部または初期段階として理解される。どちらも国家の富を増やすために国家が経済に積極的に介入する点では共通しているが、重商主義では工業や商業の発展、輸出産業の育成など、生産そのものの拡大がより重視される。一方、重金主義では依然として金銀の獲得が中心であり、産業構造の強化という発想は弱かったといえる。
経済思想史上の位置づけ
重金主義は、中世の貨幣観から近代経済学への移行期に現れた過渡的な思想として評価される。後にアダム・スミスら古典派経済学者は、富の源泉を労働や生産に求め、金銀保有量に還元する見方を批判した。しかし、国家が経済政策を通じて富を増やそうとする発想は、その後の経済政策にも受け継がれており、重金主義は近代国家の誕生と歩みをともにした初期の経済思想として重要な位置を占めている。