西漸運動
西漸運動とは、独立後のアメリカ合衆国が、13州からはじまる大西洋岸の国家から、内陸・西部へと領土と社会を拡大していった歴史的動きを指す用語である。18世紀末から19世紀半ばにかけて、入植民や農民、鉱山労働者がアパラチア山脈以西へと移動し、ミシシッピ川流域からロッキー山脈、さらに太平洋岸へとフロンティアを押し広げていった。この過程で新しい州が次々に編入され、先住民社会の破壊や奴隷制拡大問題が生じ、やがて南北戦争へとつながる政治的・社会的対立が深まっていった。
背景:アメリカ独立と初期の領土拡大
アメリカ独立戦争後、合衆国政府はオハイオ川以北の旧イギリス領を取得し、「北西部条例」によってこの地域を秩序立てて入植・州編入していく方針を定めた。これが西漸運動の制度的な出発点であり、旧13州の外側に「準州」を設置し、人口や統治条件が整えば州として合衆国に編入するというモデルが確立した。その後、フランスからのルイジアナ買収によりミシシッピ川以西の広大な内陸部が一挙に獲得され、西方に広がる大平原とロッキー山脈の彼方にまで、合衆国の政治的・経済的想像力が及ぶようになった。
フロンティア社会と入植の進展
開拓民たちは森林や草原を切り開き、小規模自営農を営みながらフロンティアを押し広げた。このフロンティア社会では、東部の既成社会に比べて身分的な拘束が弱く、白人男性間の政治的平等が重視される傾向が強かったとされる。こうした経験は、後にジャクソニアン=デモクラシーと呼ばれる大衆民主主義の広がりと結びつけて理解されることが多い。一方で、その「平等」は白人男性に限定され、先住民や黒人奴隷、女性は排除される構造を内包していた。
交通革命と市場経済の拡大
19世紀前半の西漸運動を支えた大きな要因が交通・通信の発達である。蒸気船の普及によりミシシッピ川やオハイオ川が内陸輸送の大動脈となり、エリー運河をはじめとする運河網は五大湖と大西洋岸を結びつけた。さらに鉄道が登場すると、農産物や鉱産資源を東部市場に迅速に輸送できるようになり、内陸部は全国的市場経済に組み込まれていった。こうした「交通革命」は、単なる地理的拡大にとどまらず、国家全体の経済構造や地域間分業の形成を促進した。
市場経済と地域間分業
東北部では工業化と商業が進み、中西部では小麦やトウモロコシなど穀物生産が拡大し、南部では綿花栽培が奴隷制プランテーションのもとで発展した。このような地域間分業は、国内市場の統合を進める一方で、奴隷制存続をめぐる利害対立を先鋭化させた。南部の綿花輸出依存と、北部・中西部の自由労働志向の対立は、のちの政治的分裂の伏線となる。
マニフェスト=デスティニーと西漸の正当化
19世紀半ばには、「合衆国は神意により北米大陸を支配する運命にある」とする思想が広まり、これがマニフェスト=デスティニーあるいは明白な天命と呼ばれた。この思想は西漸運動に宗教的・道徳的な正当化を与え、民主主義や文明を西方へもたらす使命を掲げて領土拡張を推し進める論理として機能した。しかしその裏側では、先住民の土地収奪やメキシコ領の併合が正当化され、暴力と差別の構造が隠蔽されることにもつながった。
テキサス併合とアメリカ=メキシコ戦争
テキサスは、もとはメキシコ領であったが、19世紀前半に多くのアメリカ人入植者が移住し、やがてメキシコからの独立を宣言した。その後、テキサス共和国は合衆国への併合を求め、1845年に合衆国はこれを承認した。これに反発したメキシコとの間でアメリカ=メキシコ戦争が勃発し、合衆国は勝利によって現在のカリフォルニアやニューメキシコなど広大な南西部領域を獲得した。この戦争と併合は、自由州と奴隷州の均衡を大きく揺るがし、国内政治に深刻な亀裂を生んだ。
オレゴン・カリフォルニアと太平洋岸への到達
北西部では、合衆国とイギリスが共同管理していたオレゴン地域をめぐる対立が続いたが、1846年の協定により北緯49度線を国境とする妥協が成立した。南西部の獲得と合わせて、合衆国は太平洋岸へと到達し、枢要な港湾や交易ルートを手に入れた。さらに1848年のゴールドラッシュを契機にカリフォルニアへの人口流入が爆発的に増加し、鉱山キャンプや急成長する都市が一気に形成された。
西漸運動を象徴する出来事
- エリー運河の建設と五大湖地域の開拓
- テキサスの独立と併合をめぐる政治問題
- ゴールドラッシュによるカリフォルニア急速開発
- オレゴン街道を進む移民隊の西方移動
先住民社会への影響
西漸運動は、合衆国の経済発展と国家領土の拡大をもたらした一方で、先住民社会にとっては土地喪失と強制移住の歴史でもあった。19世紀前半のインディアン移住法により、南東部の五大部族はミシシッピ川以西へ強制移住させられ、その過程で多くの死者を出した「涙の旅路」が生まれた。西部でも条約や軍事行動を通じて保留地が設定され、狩猟や伝統的生活は大きく制限された。こうして北米大陸の先住民世界は急速に再編され、文化的・人口的な打撃を被った。
奴隷制問題と南北分裂
新たに編入される準州・州を自由州とするか奴隷州とするかは、19世紀の合衆国政治における最大の争点であった。ミズーリ妥協やカンザス=ネブラスカ法など、妥協と対立を繰り返しながら、議会内での勢力均衡が模索されたが、西漸運動に伴う領土拡大は常に新たな火種を生んだ。北部の多くは奴隷制の拡大に反対し、南部は新領土への奴隷制持ち込みを強く主張した結果、妥協は次第に困難となり、最終的に南北戦争という内戦に至ることになる。
西漸運動の歴史的意義
西漸運動は、アメリカ合衆国が大陸規模の国家へと成長する過程の中核であり、領土拡大・市場経済の拡大・技術革新・民族移動・戦争・先住民征服など、多様な要素が絡み合った巨大な歴史現象である。それは、自由と民主主義の拡大を掲げつつ、同時に奴隷制や人種差別、領土侵略を伴った矛盾に満ちた運動でもあった。西部フロンティアの経験は、アメリカ社会の自己イメージや歴史叙述の中で神話化されつつも、その陰で犠牲となった人々の歴史をどう位置づけるかという課題を、現代の歴史研究に突きつけている。