行省|行政機構の中核としての役割

行省

行省(行中書省, xing sheng)は、元朝が広域支配を実現するために整備した地方統治の中枢機関である。中央の中書省を「本省」とし、その出先として各地域に行省を常設化して、財政・軍事・司法・官人任免を総合的に統轄した。モンゴル帝国の機動的な遠征指揮体制と、漢地官僚制の文書主義を接合した制度であり、遠隔地を都城大都から一元管理するための「出先内閣」と位置づけられる。制度史的には遼・金の前例や戦時の臨時「行台」を継承しつつ、元で常置化・体系化された点が画期である。の広域行政の骨格として、後世の省区形成にも持続的影響を与えた。

起源と成立

モンゴル帝国期には遠征先に臨時の「行中書省」や「行枢密院」を置いて軍政を統轄した。クビライ即位後、漢地支配の正統を掲げて制度化が進み、南宋領の編入とともに行省が各地に常設された。これにより江南・四川・雲南・河南江北・湖広など複数ブロックを束ねる広域単位が形成され、中央と地方の間で命令・税糧・軍需・訴訟が定型の文移で接続された。前代の州県制や路レベルの枠を上位から統合する「広域行政機構」としての性格が強い。これらの展開は、宋の行政文化と草原世界の統合技術北方民族の動向が交差する地点で理解される。

任務と組織

行省は、平章政事(長官)・左右丞・参知政事などの政務官を中心に、財政・軍政・司法・戸口・兵糧・駅伝を分掌した。軍事については枢密系機構と連携しつつ、省が遠征・防衛・駐屯の指揮・補給を調整した。各路・府・州には達魯花赤(監督官)や宣慰・安撫等の専門機関が配され、監察(御史台系)の廉訪司が省の行為を糺す仕組みも併置された。官僚は蒙古人・色目人・漢人・南人など多元的に登用され、地域事情に応じた混成人事が行われた。

運用の実相

  • 財政:戸籍・田地・塩・市舶・関津の把握を進め、鈔納・銭納の配分を調整した。紙幣・輸送・塩課などの制度的梃子を用い、広域市場の統合が図られた。
  • 軍政:動員・移送・糧餉を標準化し、河川・運河・海道を結ぶ兵站線を維持した。臨時の「征東」「征南」など作戦名を冠した行省が編成され、終戦後に常設化される例もあった。
  • 司法:省レベルでの断獄・上訴処理と、中央への移送手続を規格化した。多民族・多法慣の調停が要点である。

地域別の展開

江浙では港湾・市舶と稲作を基盤とする財政統合、四川では山岳交通と関市の掌握、雲南では在地王権・部族勢力の編入が課題となり、いずれも行省が中央の方針を地域実情へ翻訳する役割を担った。遼陽方面では東北辺が、陝西では西北辺が、それぞれ軍政と交易の結節点となる。西方のウルスとの接続では、イラン方面のイル=ハン国、東欧草原のキプチャク=ハン国といった並立政権と、外交・交易・駅伝の相互接続が意識された。

文書主義と交通網

行省の効率は、定型文書の運用と駅伝・運河の網に支えられた。制・詔・敕・牒・移文などのフォーマットにより、徴発・課税・軍令・訴訟が「可視化」され、命令の正統性が形式主義で担保された。交通面では河川・運河・海道の複線化が図られ、塩・糧・軍需の長距離移送が可能になった。官文書と物資の流れを一致させることが、広域統治の要諦である。

史料と研究

制度の具体像は『元史』や碑刻・契約文書・地方志に加え、同時代イラン側史料の『集史』にも豊富に見出せる。編制・官職名・令旨の連鎖・作戦行省の編成といった情報を突き合わせることで、中央—地方—辺境の三層連動を復元できる。比較史的には、遊牧的機動と漢地官僚制の折衷がどのように行政合理性を生んだかが主要論点である。

制度的意義と継承

行省は、征服帝国の統治コストを抑えつつ広域の徴税・軍事・司法を同時稼働させるための「最小限の上位単位」であった。省の常置化は、地域の差異を前提に中央の戦略を実装する柔軟な枠を提供し、後代の省区(明・清、近現代の省制)に制度的基層を残した。ユーラシア規模では、元の対外秩序再編と軍事・交易ネットワークの拡充とが連動し、周辺世界との相互接続(例:遠征・冊封・朝貢と港市・内陸隊商の統合)を促した。この視野は、モンゴル帝国世界の東西比較北方民族の動向や他ウルスの制度理解にも資する。

用語と表記

日本語では「行省」「行中書省」が併用される。中国語史料では「行中書省」「行省」、英語では “Branch Secretariat(s)” が通例である。政務を担う中書省の「行在(出先)」という本義を踏まえると、単なる地方官庁ではなく、中央政務の地域実装装置として把握するのが適切である。

比較補説

  1. 遼の二重統治(北南院)や金の猛安・謀克と比較すると、行省は文書主義と多民族登用をより強く制度化した点に特色がある。
  2. 西方ではイル=ハン政権の文書行政・駅伝、東欧草原ではジョチ・ウルスの宗主権体制が機能し、いずれも広域ネットワークの論理を共有する(比較対象:イル=ハン国キプチャク=ハン国)。
  3. 対外遠征・辺境経営では、臨時行省(征東・征南など)が成立し、作戦終了後に行政網へ転化する柔構造が確認できる。

評価

行省は、征服王朝が抱える「移動性」と「定住支配」の緊張を調停した制度であり、中央の政策形成と地方の資源動員を同時に促す統治技術であった。行政史・軍事史・交通史・経済史が交差する研究課題として、今なお再検討が進む。制度の横断比較や同時代史料の突合(例:集史)を通じて、元の広域統治像とユーラシア秩序の相互接続が一層具体化するであろう。