行中書省
行中書省は、元朝において中央の中書省を各地域に分置した広域統治機関である。征服過程で成立した移動式の政庁に由来し、のち定住化して「行省」と略称された。財政・戸籍・司法・軍需補給などの行政を総覧し、中央の中書省・枢密院・御史台と分担連携して、多民族・広領域の統治を可能にした制度的中核であった。すなわち行中書省は、単なる地方官衙ではなく、中央の政策を地域に落とし込む「半中央」的装置であった。
成立と背景
モンゴル帝国の拡大期、遠征先に随行する「行在」体制から派生したのが行中書省である。クビライの下で制度化が進み、征服地を路・州・県の上位で束ねる広域単位として常設化した。これは遊牧的な機動統治と漢地官僚制の融合であり、広範な輸送・財政・治安を一体運用するための枠組みであった。対外軍事と内政管理の結節点としては元の遠征活動とも密接に連動した。
組織と官制
長官には平章政事を置き、参知政事・左右丞・判官・都事などがこれを補佐した。文書・出納・簿冊・勘合の諸司を配し、戸籍整備、租税賦課、訴訟裁断、軍需調達を分掌する。制度設計は中書省の六部的機能を地域規模に写したもので、中央の詔令を迅速に施行するための伝達・審査・執行の三層機能が意識的に組み込まれていた。
職掌と機能
第一に財政では、田糧・商税・塩利などの歳入を集約し、軍糧と官給を優先配分した。第二に戸籍・役法では、戸丁の把握と駅伝役・軍役の割当を主管した。第三に司法・治安では、訴訟審理と官吏弾劾の一次対応を担いつつ、御史台の巡按に服した。交通・水運では、汴河や通済渠に象徴される運河網と都市経済を結びつけ、華北・江南間の物資輸送の要を成した(関連:汴州、江南)。
中央との関係と監督
中央の中書省は法令・人事・財政の総裁機関で、枢密院は大戦略と禁軍を統べ、御史台は糾弾と監察を担う。各行中書省は日常行政を執行する一方、軍政面は枢密院令に従った。監督面では行御史台や監察使が交錯し、旧来のダルガチ(達魯花赤)が出納・監臨を補助して二重チェックを構成した。こうした多元的牽制により、広域官僚の専横と土着化が抑制された。
地域区分と主要行省
- 江浙行省:臨安・杭州圏の財政・造船・海運の中核。江南の商品経済を掌握(関連:江南)。
- 江西行省:銅・陶磁・塩の供給地を統括し内陸水運を接続。
- 湖広行省:長江中流域の漕運・軍需拠点を統制。
- 河南江北行省:中原の交通結節を押さえ、運河・陸路の結合点を管理(関連:中原)。
- 山東・山西・陝西行省:北辺・関中の軍政と牧畜・農耕混在地帯を調整。
- 四川行省:山地輸送と茶・馬・塩の専売統御。
- 雲南行省:南詔・大理の旧地を編入し、南方経略の根拠(関連:パガン朝)。
- 甘粛・遼陽行省:西域・東北の門戸として交通と軍鎮を統べた(比較参照:西域都護)。
人事と多民族統治
幹部層はモンゴル・色目・漢人・南人の複合編成で、軍政・財政・司法に応じた適材を登用した。異文化行政の要は、戸籍・税法・訴訟の手続統一と、慣習法の限定的承認である。交易・港湾・市場税の運用では、行省の裁量が地域の経済構造に合わせて調整され、商人ネットワークの活力が帝国財政を底上げした(広域的文脈は北方民族の動向も参照)。
軍事・交通との連動
出兵・鎮圧・辺境防衛では、兵站線の整備が最重要課題であった。駅伝(站赤)・倉廩・渡渉点・関市の配置は、行省の行政網に重ねて設計され、牌符による通行統制と文書伝達の迅速化が図られた。海陸複合の遠征期には、江南の造船・航路・潮汐知識が制度的に組み込まれた点で、元の遠征活動との相互作用が顕著である。
他時代との比較と影響
唐宋期の節度使・路制は軍政と民政の分離が難しく、越権の温床ともなった。これに対し行中書省は、中央の法令・人事を貫流させる管路として設計され、軍政は枢密院の指揮下に置く分掌原理を採った。明初には承宣布政使司・都指揮使司・按察使司に再編されるが、広域単位としての「省」は以後の中国行政地理の基礎となり、運河・都市ネットワーク(例:汴州、江南)とともに持続的影響を残した。
用語上の注意
「行省」は「行中書省」の略であり、中書省(中央)と混同しない。御史の地域機関「行台」や、軍事中枢たる枢密院とも機能を異にする。また、北方—華北—江南という地域差を前提に、同名の行省でも職掌の重心は流通・防衛・造船など各地で異なった。
史料と研究視角
制度・人事・法令は『元史』『元典章』などに広く見え、都市・水運・市場の分析は考古・文書・地理情報の横断が有効である。路・州・県の底層自治の実態、運河・関津の再編、南北交易の再設計は、宋代の遺制(参照:宋)と元期の革新を比較することで、行中書省の歴史的位置が立体的に把握できる。