英仏通商条約(1860)
英仏通商条約(1860)は、ナポレオン3世期のフランスとイギリスのあいだで締結された通商条約であり、保護関税を緩和して自由貿易へと踏み出す転換点となった条約である。とくに「コブデン=シュヴァリエ条約」とも呼ばれ、フランス側の実務家シュヴァリエと、イギリスの自由貿易主義者コブデンが交渉に深く関与した。条約は関税の大幅な引き下げと最恵国待遇条項を特徴とし、その後のヨーロッパ諸国の通商ネットワークに大きな影響を及ぼした。
成立の歴史的背景
英仏通商条約(1860)の背景には、19世紀前半の産業革命によって工業力で先行したイギリスと、後発ながら工業化を進めるフランスの経済事情があった。イギリスは、すでに穀物法廃止以後、安価な原料と広大な市場を求めて自由貿易政策を推進していた。一方フランスでは、第二帝政のもとで皇帝ナポレオン3世が経済成長を政権の正統性の支柱とみなし、首都パリ改造を含む大規模な公共事業と産業発展を後押ししていた。しかしフランス国内には、依然として高い保護貿易的な関税で自国産業を守ろうとする勢力も強く、経済政策は揺れていた。
条約締結の目的
英仏通商条約(1860)には、単なる関税引き下げにとどまらない複数の目的があった。フランス側にとっては、イギリスからの安価で高品質な機械や石炭の輸入によって国内産業の近代化を進め、世界市場での競争力を高める狙いがあった。また、イギリスという最大の工業国と経済的協調関係を結ぶことで、外交面でも安定した関係を築く意図があった。イギリス側にとっては、人口と需要が増大するフランス市場を獲得し、自国製品の輸出を拡大することが最重要課題であった。
条約の主な内容
英仏通商条約(1860)の中心は、工業製品と一部農産物に対する関税の大幅な引き下げである。フランスはイギリス製工業製品に課していた高率の関税を削減し、イギリスもフランス産のワインや絹織物などに対する関税を軽減した。これにより、フランスの特産品であるワインや高級織物は、イギリス市場での競争力を増し、イギリスの工業製品はフランス国内で広く流通するようになった。
- 工業製品関税の段階的引き下げ
- ワインや絹などフランスの輸出品に対する関税軽減
- 最恵国待遇条項の採用
とくに最恵国待遇条項は、フランスまたはイギリスが他国と結ぶ条約で認めた有利な条件を、相手国にも自動的に適用するというものであった。この仕組みにより、両国を中心とした多国間の通商網が形成され、のちのヨーロッパ経済秩序に長期的な影響を与えた。
交渉を担った人物とイデオロギー
英仏通商条約(1860)は、自由貿易思想を掲げる人物たちの活動によって実現した。イギリス側のコブデンは、反穀物法同盟で名を上げた自由貿易論者であり、国家間の貿易拡大は平和の維持にもつながると主張した。フランス側の経済学者シュヴァリエも、古典派経済学に影響を受けた自由主義思想の持ち主であり、高関税による産業保護よりも、競争を通じた生産性向上を重視した。両者の考え方は、重商主義的な重商主義から、競争と市場原理を重んじる19世紀の経済思想への転換を象徴している。
フランス国内への影響
英仏通商条約(1860)は、フランス国内で賛否両論を呼んだ。輸出の拡大を期待するワイン生産者や高級織物業者にとって、条約は好ましいものであったが、イギリス製品との競争にさらされる鉄鋼業や綿工業などの一部産業は、雇用や利潤の低下を懸念した。これに対してナポレオン3世政権は、鉄道建設や金融制度の整備などを通じて産業の競争力強化を支えた。結果として、条約は多くの困難を伴いつつも、フランスの工業化と市場拡大を促す契機となった。
政治体制との関係
条約の締結は、第二帝政の政治運営とも密接に結びついていた。皇帝は、経済成長をもって政権の成果として示し、都市中間層を取り込みたいと考えていた。とくに金融資本家や産業ブルジョワジーは、条約による市場拡大を評価し、政権の支持基盤となった。一方で、没落の危機に立たされた旧来産業や農村の一部には不満が蓄積し、のちの政治的不安定化の一因ともなった。
ヨーロッパ諸国への波及効果
英仏通商条約(1860)に盛り込まれた最恵国待遇条項は、他のヨーロッパ諸国との通商条約にも連鎖的な影響を与えた。イタリアやベルギー、プロイセンなどが次々と類似の条約を締結し、関税の引き下げと市場の開放が各地で進んだ。この流れは、19世紀後半のヨーロッパにおける「通商条約ネットワーク」を形成し、国家間経済関係の新たな枠組みを作り出した。同時に、こうした自由貿易的な体制は、後に農業危機や工業競争の激化のなかで見直され、再び保護主義が台頭する契機ともなった。
国際関係史における位置づけ
英仏通商条約(1860)は、軍事同盟ではないものの、経済関係の緊密化を通じて両国関係を安定させる役割を果たした。とくにクリミア戦争で協力関係にあった英仏両国は、通商面でも協調を深めることで、国際政治上の対立を和らげようとしたのである。経済的相互依存を高めることによって戦争の可能性を下げるという発想は、その後の国際関係論や平和論のなかでも重要なテーマとなった。
歴史的意義
英仏通商条約(1860)は、19世紀ヨーロッパにおいて自由貿易が国際秩序の一つの原理として広がる契機となった。条約は、単なる二国間の経済取り決めにとどまらず、最恵国待遇条項を通じて多国間的な通商構造を生み出し、国家間関係における経済の比重を高めた。さらに、フランスの工業化を後押しし、イギリスの輸出市場を拡大することで、資本主義世界経済の拡大に寄与した点でも重要である。この条約を手がかりにすると、19世紀後半の関税政策の変化や、自由貿易と保護貿易のせめぎあい、ひいては近代国際経済体制の形成過程を理解することができる。