色目人|モンゴル帝国の多民族構成

色目人

色目人とは、モンゴル帝国期から元朝にかけて用いられた身分・出自の分類で、中央アジア・西アジア・北方草原などに由来する多様な人々を広く包摂した呼称である。語の原義は「諸色の目(カテゴリ)」であり、血統や言語よりも行政上の区分として機能した点に特色がある。元朝は支配構造を「モンゴル人―色目人―漢人―南人」という重層秩序で整理し、彼らを通訳・財政・軍政・都城運営に積極登用した。とりわけ南宋征服後の江南経営では、港湾・税務・市舶・算学などの専門職に就く例が多く、征服政権の広域統治を支える技術系エリートとして重要視された。

用語と起源

「色目」は既存の民族名を単純に指すのではなく、元朝の行政実務で便宜的に用いられた総称である。多言語・多法域を束ねるため、宗教・慣行・職能の異なる集団を「色目」として統合し、戸籍・課税・裁判・登用の基準を与えた。英語表記は“Semu”または“Semuren”で、内陸アジアから西アジアに広がる移民・移住系のネットワーク人材を含意する。

構成と出身の多様性

  • 畏兀児(ウイグル)系:早期から筆受・文書行政に強く、駅伝や度量衡、暦算に通じた。
  • 回回(イスラーム)系:ペルシア語・アラビア語圏の商人・医師・天文学者・金工師などを含む。
  • 阿速(アラン)や欽察(キプチャク)など北西方の軍事力に長けた集団。
  • 康里(カンリ)ほか草原・オアシスの移動民出身者、さらにはチベット・雲南方面の一部集団。

境界は流動的で、同一氏族でも居住域や職能により分類が異なることがあった。人的流動は草原回廊とオアシス路の結節を反映し、交易・婚姻・従軍を通じて重層的なアイデンティティが形成された。

四等人制と法制上の位置づけ

元朝は支配秩序をモンゴル人・色目人・漢人・南人の四層で運用した。これは固定的な身分制というより、量刑基準・俸給格・課税・科挙枠・訴訟手続などで差を設ける政策パッケージであった。たとえば財政・外交・軍政の要所で登用幅が広く、判事・断事官・翻訳官などに任じられる比率が高かった。一方で地域社会では摩擦も生み、秩序維持のための訴訟制度や駅伝規制が精緻化した。

行政・軍事における役割

彼らは行在所や行省の文案作成、印章・牌符の管掌、度量衡・会計の標準化など、複合官僚制の「技術部門」を担った。軍政面では弓騎・攻城器・火薬の運用で専門部隊を率い、辺境のダルガチや徴税監督として派遣される例も多い。都城では大都・哈剌和林などで多言語事務を裁き、内陸アジア―江南を結ぶ補給線の管理にも寄与した(遠征の背景は元の遠征活動参照)。

都市社会・宗教・文化交流

モスクや礼拝所、共同墓地、法学者のワクフ組織など、イスラーム共同体の制度が都城と港湾に根づいた。医薬・天文暦算・金属工芸・ガラス・織物意匠などの技術は、移住者のネットワークを介して急速に移転する。江南の高度な手工業と結びつくと、絹・香料・薬材の流通が活性化し、衣料文化でも図案・染織のモチーフが共有化した(関連項目:江南絹織物)。

経済活動と商業ネットワーク

  1. 国家財政:塩・茶・市舶など専売・課税セクターの運用、会計・文簿の整備。
  2. 交易金融:キャラバンの出資とリスク分散、遠隔決済や信用状の実務、為替・度量衡の調整。
  3. 港湾・内陸物流:江南造船力の活用と運河・駅伝(ジャムチ)を接続し、外洋航路と内陸輸送を統合。

これらは草原のステップ・ロードとオアシス路を介した広域ネットワークに根ざし、西方のキプチャク=ハン国やロシア方面、南はインドシナ・島嶼部へと連なる広がりをもった。

司法・戸籍と社会統合

訴訟では通訳官・書記官が介在し、証拠様式や誓約法が多元的であった。戸籍・軍籍・工匠籍など複数の登録体系にまたがる者も多く、婚姻・相続・宗教実践の扱いに柔軟な裁量が与えられた。これにより、帝国規模の人的移動と専門職配置が効率化し、支配機構の「補助線」として機能した。

地域史的背景

色目系エリートの活躍は、漢代以来の西域経営やシルクロードの制度記憶とも呼応する。前近代国家が遠隔地を包摂する試みとしては、かつての西域都護に象徴される軍政・交通・外交の束ね方が参照され、元代にはそれがより多民族的・多宗教的に拡張された。宋代の市場ネットワークや官僚制の遺産()も、文書技術・財政制度の基盤として受け継がれた。

南宋征服と江南経営の文脈

江南の財政基盤と都市技術は元の対外戦略を支え、江南の職人・商人・書記層と色目系の専門家が結びつくことで、港湾都市の行政・倉儲・造船・検査体系が整備された。南向遠征や海域支配の過程で、アジア各地の人材が流入し、都市はグローバル化した複合社会となった(背景は元の遠征活動参照)。

明初以降の変容

元の崩壊後、多くの色目人は在地社会へ同化し、姓名・服制・言語の面で漢地社会に吸収された。他方、雲南・北中国・沿海部にはイスラーム共同体が残存し、医術・暦算・食文化などの分野で影響を及ぼし続けた。草原・オアシス・都市をつなぐ人的回路は断ち切られず、後世の東西交流の土台となる。

関連項目(内部リンク)

史料と研究の手がかり

一次史料として『元史』『元典章』、イスラーム圏の年代記、旅行記(Marco Polo ほか)、ペルシア語史料(Rashid al-Din)などが挙げられる。考古・文書出土・貨幣や度量衡の実証研究が進み、法制・財政・宗教実践の実態が具体化した。近年は「帝国の中間層」としての機能、移民と制度の相互作用、江南都市との接合という視角から、分類概念そのものの再検討が進んでいる。