良渚文化
良渚文化は、長江下流域(浙江省北部・太湖南周辺)に展開した新石器時代後期の文化で、紀元前3300年頃から前2300年頃を中心年代とする。良渚古城と呼ばれる城郭都市、水利システム、稲作農業、精緻な玉器(琮・璧)を総合した高度な社会複合体を示し、都市・儀礼・技術が有機的に結びついた点で中国先史の画期をなす。王権的中心の存在や階層分化を示す墓制、広域交流を示唆する玉材の流通、宗教観を反映する文様体系など、後世王朝の観念世界に連なる要素を先駆的に備えていたと評価される。
時代と分布
良渚文化は、馬家浜・崧澤・良渚と続く長江下流系の編年の最終段階に位置づけられる。主要分布は杭州湾北岸から太湖流域にかけてで、浙江省杭州の良渚古城遺跡をはじめ、反山・瑤山などの墓地群、周辺の居住址・作物加工址がネットワークを成す。北方の龍山文化や中原諸文化と並行しつつも、湿地環境に適応した稲作・水域利用に特色がある。
環濠都市と水利
良渚古城は外郭・内郭・台地状の宮殿区(莫角山)から構成され、版築の城壁と城門、区画道路、貯水・導水施設が確認される。城域周辺には堤防・ダム・水路が連続し、降水や氾濫を制御して湿地を生産空間へ転換した。これは単なる集落の集合ではなく、労働動員や計画性を前提とする都市的枠組みであり、治水を政治権威の根拠とする支配原理の萌芽が読み取れる。
稲作経済と生業
炭化イネ籾・籾殻圧痕・脱穀痕などの考古植物学的証拠は、灌漑と高湿地利用を前提とした稲作体系を示す。魚貝・水禽の捕獲、猪・鹿などの狩猟、ヒョウタン等の栽培、木工・骨角器制作が併存し、多元的生業が成立した。磨製石斧・石鎌・土器は農耕と加工を支え、貯蔵・供饗の容器は儀礼と経済の接点を担った。
玉器文化―琮と璧
良渚文化の象徴は玉器である。四角柱外形に円筒孔を貫く「琮(そう)」、円盤状の「璧(へき)」が代表で、玉材は主に透閃石系の軟玉である。穿孔はサンド研磨と回転工具を併用し、鏡面研磨を達成した高超な技術が観察される。琮・璧には神人・獣面の複合意匠や帯状の区画文(神人獣面文)が彫刻され、上下・内外の宇宙観や権威の象徴化に用いられたと解釈される。
社会構造と葬制
反山や瑤山の墓地では、副葬品点数と質の著しい差があり、首長層と従属層の階層分化が明瞭である。大量の琮・璧・鉞形玉器、朱の使用、木槨・棺の構造差などは、儀礼秩序と権威の視覚化を示す。玉器は単なる財ではなく、規範化された配列・組合せで権力の序列を表わす媒体であり、埋葬儀礼は政治宗教の舞台であった。
宗教観と文様
神人獣面文や羽人風の像は、超越的存在への仲介者(シャーマン)や祖霊崇拝の観念を想起させる。面貌の左右対称性、帯状区画の反復、上下段の配置は、天・地・人の階層秩序を符号化したデザインであり、玉器を介した宇宙秩序の掌中化を意図する。こうした象徴体系は、後世の礼器観念へと通底する。
衰退と気候変動
良渚文化の終末には、河川氾濫・海進や4.2kaイベントに関係する気候変動がしばしば想定される。堆積学・花粉分析は湿潤化と洪水頻発の兆候を示し、広域な水利網でも吸収しきれない環境ショックが社会基盤を動揺させた可能性が高い。政治的中心の崩壊後、地域は小規模な文化相に分化し、玉器様式も変容していく。
研究史と世界遺産
20世紀前半の調査以降、発掘・測量・科学分析が累積し、都市・水利・儀礼・生業を束ねる総合像が確立した。2019年、良渚古城遺跡群はユネスコ世界遺産に登録され、長江文明の多元性と先進性が国際的評価を得た。今後は年代較正の高精度化、玉材の原産地同定、微痕分析による制作工程復元、災害レジリエンスの比較研究が課題である。
主要要素の整理
- 空間構成:都市(外郭・内郭・宮殿区)と周辺の水利システム
- 経済基盤:灌漑稲作を核にした多元的生業
- 象徴体系:琮・璧と神人獣面文に表現された宇宙観
- 社会構造:副葬差から推定される階層秩序と権威
- 歴史的意義:長江文明の独自展開と後世礼制への影響