聖戦
聖戦とは、神聖な目的や宗教的権威によって正当化された武力行使・武装闘争を指す語である。史学上は、宗教的価値が動員や規律、敵味方の区別原理、戦後秩序の構想にまで浸透する戦争現象を指摘する場合に用いられる。典型的には①「正当な権威」が開戦を宣言し、②「正当な大義」を掲げ、③「相応性・区別・最後の手段」などの倫理的制約を伴う、と要約される。近世以降に国家主権と国際法が整うと、宗教語彙は後景化したが、動員スローガンや殉教観、敵の「背教者」化といったレトリックは近現代にも反復するため、聖戦は宗教史のみならず政治思想史・社会史の横断課題となっている。
語義と起源
日本語の聖戦は英語の「holy war」に対応する一般名詞であるが、各宗教伝統が同義の制度を持つわけではない。古代の戦争は神意の寵否を占いや祭儀で問うことが多く、戦争自体が神事に組み込まれた。中世ヨーロッパでは巡礼・赦罪・聖遺物崇敬と武装行為が結びつき、神意の代理遂行として理解された。他方、イスラームでは「ジハード」が内的修養と共同体防衛を含む広義の努力概念として長い注釈史を持ち、単純に聖戦=対外戦争と同一視できないことが強調される。
キリスト教世界における展開
西欧中世の聖戦は、武装巡礼としての十字軍に集約される。開戦権は本来世俗君主に属するが、教皇は赦し・特権付与・十字章の授与を通じて宗教的承認を与え、武力行使を救済史の文脈へ編み込んだ。理論的基盤にはアウグスティヌス以来の正戦論があり、権威・大義・意図の三要件が再解釈された。戦場では「区別原則」が唱えられつつも実践は揺らぎ、戦利・契約・戦時禁欲・誓願などが宗教規範と交錯した。近世に入ると宗教改革と主権国家の台頭により、聖戦言説は国家利益・自然法・国際法の語彙に吸収されていった。
イスラームにおける概念史
イスラームの伝統では、ジハードは信仰の保持・社会正義の実現・共同体(ウンマ)の防衛に関わる多義的概念である。古典法学は宣戦権限、停戦・保護、交戦規範(不戦の者の保護、背信の禁止、財産の取り扱い)を精緻化し、地域秩序や契約実務と調停された。時代や地域により外征・防衛・反乱抑止・自己修養の比重は変動し、近代以降は植民地支配への抵抗、民族独立運動、国家法体系の再編と結びついて多様化した。ゆえに聖戦という外在的ラベルを安易に貼るのではなく、各史料の語彙・法学派・政治文脈を確定する作業が不可欠である。
ユダヤ教・他宗教の比較的視点
ヘブライ語聖書には神罰の執行としての戦闘描写が見られ、後代の解釈は歴史的比喩化・法的制限・共同体防衛への枠付けを進めた。シーク教では共同体防衛の武徳が強調され、東アジアの仏教圏でも護法・鎮護国家の思想が軍事と結びつく局面があった。ただし、いずれも単一の制度語としての聖戦を備えるわけではなく、神学・戒律・王権論との連関で理解すべきである。
倫理・法・規範
- 正当化基準:権威の正統性、大義(防衛・救済・秩序回復)、意図の純化。
- 戦闘規範:区別と比例の原則、降伏者・捕虜保護、背信の禁止。
- 終結と和解:赦し・補償・契約更新、記念と哀悼の儀礼。
- 近代法秩序:主権国家・国際法(条約・戦時国際人道法)による枠付け。
近代以降の言説と記憶
近代の世俗化は宗教語彙を薄めたが、動員・正統化・敵表象の装置としての聖戦言説は持続した。帝国主義と反帝国運動、民族主義と宗教復興、メディア普及は象徴操作を加速させ、過去の戦争記憶は殉教・聖域防衛・背教者糾弾などの物語として再編集された。歴史学はオリエンタリズム批判、比較宗教学、社会史的方法を通じ、語の外在的適用を戒めつつ当事者の概念世界を再構成しようとしている。
用語上の注意
日本語の聖戦は便宜的総称であり、特定宗教の自称と一対一対応しない。英語の「holy war」も、キリスト教中世史の枠から拡張的に用いられてきた学術用語である。史料の語彙(法・説教・年代記・詩歌・法令)を確認し、誰が何を賭けて戦いをどのように正当化したのかを一次資料単位で復元することが、概念の濫用を避ける最良の方法である。