突厥文字
突厥文字は、8世紀のモンゴル高原とシベリア西部を中心に用いられた古テュルク語の表記体系である。石碑に刻むことを前提とした直線的で角張った字形をもち、見た目がゲルマンのルーン文字に似るため、学術上ではしばしば「runiform(ルーン状)」とも呼ばれる。代表的史料はオルホン川流域の大碑文群(クル・テギン碑・ビルゲ可汗碑・トニュクク碑)であり、第一次・第二次突厥可汗国の政治理念、王統、戦役、天(テングリ)への信仰を記録する。文字は右横書き(右→左)を基本とし、語境界にはコロン状の句点が打たれることが多い。
史料と発見
オルホン碑文は19世紀後半に欧露探検隊により再発見され、1893年、デンマークの言語学者ヴィルヘルム・トムセンが決定的解読に到達した。同年、ロシアのラドロフも釈読を公表し、以後、古テュルク語研究の基礎史料として世界的に注目を集めた。これらの碑文は花崗岩などの石柱四面に文字列を刻む構成をとり、各面を順に読む。内容は王の事績、諸部族の動員、唐との外交・軍事関係、民衆教誡など多岐にわたる。
文字体系と音韻
突厥文字はアルファベット的な体系で、一般に約38前後の字母からなると整理される。最大の特徴は母音調和を反映した二系列の子音字で、後舌系列と前舌系列が対になって用いられる点である。母音字も存在するが、短母音はしばしば省略され、語頭や語幹の識別に必要な箇所のみ明示されることが多い。これにより表記は簡潔になるが、翻字では音韻規則の把握が不可欠となる。
- 表記法:右横書き(右→左)、語境界に二点記号。
- 音韻対応:子音字に前舌/後舌の二系列、母音調和の反映。
- 省略慣行:短母音の省略が頻発、語頭での母音標示が重要。
- 字形:石刻に適した直線・角筆的フォーム。
記述方向と書記習慣
標準的な記述方向は右から左への横書きである。碑面の構成上、縦列状に見える配置をとる場合があるが、読み進め方は右→左の原則に従う。語境界の二点記号は句読・韻律・節の切り目を示す機能を担い、碑文全体の修辞構成(対句・反復)を視覚的にも補強する。人名・官職名・地名など固有名詞は、音価表記を基本としつつも、碑文編纂の慣習に応じた選字がみられる。
用途と機能
用途は国威宣揚と後世への訓戒に重心がある。王統の正統性、諸部の統合、戦勝・敗因の総括、為政者の徳目などが定型的に配列され、祖霊・天の加護と君主の徳治を結びつける政治言語が発達した。紙や木簡・金属への刻記も想定されるが、現存資料の中心は石碑である。エニセイ流域の小碑文群は、キルギス系勢力の活動とも関連づけられ、地理的・民族的多様性を示す。
系統論争
突厥文字の起源については、アラム系文字に遡るソグド文字の影響を重視する説が有力である。直線的な字形は石刻媒体への適応として説明される。一方で固有発明説や、複合的起源(複数書記伝統の混淆)を唱える見解もある。いずれにせよ、のちにウイグル可汗国が採用したソグド系のウイグル文字(さらにモンゴル・満洲文字系へ連なる)とは系統を異にし、オルホン系は独自の発展を遂げたのち、政治的変容とともに衰退した。
解読史と言語研究
トムセンの突破口は、碑文に反復する尊称・称号・地名の同定であった。特に「テングリ」「テュルク」などの語を鍵に音価が確定され、ラドロフや以後の研究者が語彙・文法を整備した。古テュルク語の文法は後代のテュルク語派(トルコ語・カザフ語・キルギス語等)に通じる要素を多く持ち、形態素の接続や語順(SOV)などが碑文から具体的に観察される。詩的反復と平行法も顕著で、政治思想と修辞の関係を探る研究が蓄積している。
地理的分布と年代
オルホン碑文は主として8世紀前半の第二次突厥可汗国期に集中し、エニセイ碑文はやや幅をもって7~9世紀に及ぶとされる。分布はモンゴル高原からアルタイ・サヤン、エニセイ上流域にかけて広がり、各地域で字形細部や選字慣習に差異が見られる。地方碑文では人名記念・墓誌的用法が多く、小規模ながら地域社会の構造を映す。
デジタル化とUnicode
2009年、Unicode 5.2にてOld Turkic(U+10C00–U+10C4F)が収録され、電子翻字・検索・フォント整備が進展した。研究・教育では、ラテン翻字(ASCII互換)とオリジナル字形の併用が一般的で、版面上の語境界や列配置をどの程度再現するかが編集上の論点となる。入力法は専門的だが、学術用フォントと組版パッケージの整備により、碑文原状の校訂・対照が容易になっている。
主要特徴の要約
- 媒体適応:石刻前提の直線的・角筆的フォーム。
- 書記方向:右→左の横書き、語境界に二点。
- 音韻設計:母音調和に対応する二系列子音と母音省略。
- 史料的価値:王統・戦役・理念を伝える一次資料。
- 系統関係:アラム系由来説が有力だが複合起源説も存続。
用語と異称
研究上は「Old Turkic」「Orkhon script」「Orkhon-Yenisey script」などの英語表記が併用される。日本語では通例「オルホン文字」「古テュルク文字」とも言うが、歴史主体を指示する文脈では突厥文字が広く用いられる。