科挙(明)
科挙(明)は、元末の混乱を経て成立した明王朝が全国的に整備した公開登用試験である。三年一度を原則に、郷試・会試・殿試の三段を定め、皇帝親裁の最終決定によって文官序列を確定した点に特色がある。朱子学を正学とし、経義と時務策を中心に答案の文体を規矩化(いわゆる八股文)したことで、学術標準と官僚倫理を統一し、地方士人の上昇経路を国家制度として常態化させた。制度は行政の六部直隷化と結び、皇帝の人材統制を持続的に支えた。
成立と位置づけ
建国初期、明は科挙運営を再編し、地方から中央、宮廷へと収束する段階制を確立した。宋以来の礼部試の系譜は中央の会試へと受け継がれ、最終の宮廷試である殿試が皇帝権の象徴儀礼として定着した。これにより、文官の任用・序列は公開試験と皇帝親裁の二重原理で担保され、地方勢力や門地の影響を制度的に抑制する枠組みが整えられた(関連:宋の統治)。
段階と称号
- 郷試(地方本格試):各省試院で実施。合格者は「挙人」。
- 会試(中央統一試):礼部主催で全国から集めて選抜。合格者は「貢士」。唐宋の省試の後継的性格を持つ。
- 宮廷最終:殿試で皇帝が名次を裁定し、「進士」に列する(関連:進士科)。
発榜(放榜)後は伝胪の儀で名次が公布され、第一甲の栄誉(状元・榜眼・探花)が社会的威信を帯びた。段階の一体運用は元の再開制度を踏まえつつ、明で全国的常例へと確立した(関連:元代の科挙)。
試験内容と文体
課題は四書五経の経義と時務に関する策論が中心で、出題・採点の基準は朱子学の解釈体系に依拠した。答案は題意の分解・論点配列・典拠運用を定型化することで、理解の正確さと政策的整合性を測る仕組みであった。文体の規矩化は形式主義の弊も伴ったが、国家的学力標準の共有という効果も大きい(関連:儒学・儒教)。
公正確保と監察
明は宋以来の弥封・糊名(氏名秘匿)・覆閲(再採点)を徹底し、試院の動線・持込物・筆記具まで厳格に統制した。地方段階でも監司・学政が巡察し、違反は削籍・禁錮に及ぶ重罰とした。こうした実務的工夫は、基層の予備段階でも確認できる(関連:州試)。中央では六部運用の下で人事・考課が連動し、制度の継続性を高めた(参考:三省六部)。
社会構造への影響
科挙(明)は、地域の書院・社学を学習基盤として士人層の再編を促し、郷里の名望家が行政実務と公共事業を担う秩序を広げた。地方共同体の把握・課税・治安の枠組みが整備されるなかで、名望家・挙人・進士が郷里の指導層として機能し、国家と社会の媒介層を形成した(関連:郷紳、制度史的先行として保甲法や三長制)。
歴史的展望
科挙は唐宋で成熟し、元で停止と再開を経て、明で三段階の常例として完成度を高めた。清初以降も枠組みは継承され、近世東アジアの知的・行政的基盤となった。学術の標準化・人材の流動化・官僚倫理の共有という効用と、形式主義・地域不均衡・科挙偏重の弊害は常に併存し、制度の評価は時代ごとに揺れ動いた(関連:科挙(宋))。