産業保護主義|関税で自国産業を守る政策

産業保護主義

産業保護主義とは、国家が自国の産業を育成・維持することを目的として、輸入品に高い関税を課したり、輸入数量を制限したり、自国企業に補助金や優遇策を与える経済政策の総称である。主として工業化の途上にある国が、先進国との競争から自国の「幼稚産業」を守るために採用してきた政策であり、古くは重商主義と結びつき、19世紀以降は「保護貿易」として自由貿易思想と対立してきた。

産業保護主義の基本的な考え方

産業保護主義は、市場を完全な自由競争に委ねると、生産力や資本の蓄積において優位に立つ国の企業が世界市場を支配し、後発国の産業が育つ前に淘汰されてしまうという問題意識から出発する。そのため国家が一定期間、市場に介入して国内産業を保護・育成し、将来、自立的に国際競争に耐えうる水準へと成長させることを目標とする。

その理論的根拠として有名なのが「幼稚産業保護論」であり、技術水準が低く規模も小さい新興産業は、採算がとれるまで時間を要するため、一時的な保護貿易を認めるべきだと主張する。この考え方は、絶対優位・比較優位に基づく自由貿易論が前提とする静学的な条件を批判し、産業構造の変化や技術進歩といった動学的要因を重視する点に特色がある。

歴史的背景

重商主義から近代国家形成へ

産業保護主義的な政策は、近世ヨーロッパの重商主義の時代から見られる。各国は貿易差額の黒字を拡大し、金銀を国内に蓄積するために輸入を抑制し、輸出を奨励した。とりわけフランスのコルベールによる重商主義政策は、王権強化と結びついた国家主導の工業振興策として知られ、後の産業保護主義の原型と評価されることが多い。こうした政策は、国家財政の安定と常備軍の維持をめざす近代国家形成と密接に関連していた。

一方、イギリスは17〜18世紀に航海法などを通じて植民地貿易を独占しつつも、19世紀なかばには自由貿易へ転換し、世界市場のヘゲモニーを握った。主導的海運国・工業国となったイギリスにとって、関税引き下げは自国製品の輸出拡大と原料調達の低コスト化につながり、有利であったためである。

ドイツ・アメリカの追い上げ

19世紀後半、産業革命の先進国イギリスに対し、後発のドイツやアメリカ合衆国産業保護主義を積極的に採用した。ドイツではフリードリヒ=リストが国民経済の立場から幼稚産業保護論を展開し、統一後の保護関税政策に理論的根拠を与えた。鉄鋼・化学など重工業部門への保護は、やがてドイツを世界有数の工業国へと押し上げた。

  • アメリカでは独立直後から高関税政策がとられ、北部工業の育成に寄与した。
  • ドイツ関税同盟(ツォルフェライン)は域内の関税を廃止しつつ域外に高関税を維持することで、国内市場の統合と工業発展を促した。
  • この時期の産業保護主義は、国民国家の形成と軍事力強化とも結びつき、列強間の競争を激化させた。

20世紀の産業保護主義

20世紀に入ると、世界恐慌を契機として各国がブロック経済を形成し、高率関税や輸入制限による産業保護主義を強めた。イギリス帝国特恵関税やフランスのブロック、ナチス・ドイツの統制経済などは、国際協調よりも自国経済圏の維持を優先した政策であり、結果として世界貿易の縮小と国際緊張の高まりを招いた。

第二次世界大戦後、先進資本主義国はガット体制のもとで関税引き下げと自由貿易の拡大をめざしたが、発展途上国の多くは輸入代替工業化を進めるために産業保護主義を維持した。高関税、輸入ライセンス、為替統制などによって国内市場を守り、自国工業を育てようとしたのである。しかし過度な保護は非効率な企業を温存し、技術革新を阻害する側面も指摘された。

現代における産業保護主義の形態

現代の産業保護主義は、単純な関税引き上げだけではなく、より複雑な非関税障壁として現れることが多い。輸入数量制限、衛生・安全基準、環境規制、政府調達での国内優先、輸出補助金や特定産業への研究開発支援など、多様な政策手段が用いられる。これらは一見すると公共政策や消費者保護の名目をとりながら、実際には国内産業の保護につながる場合がある。

また、経済危機や雇用不安が高まる局面では、各国政府が自国産業・労働者を守るために産業保護主義的措置を強化しがちである。その一方で、世界貿易機関(WTO)の紛争処理手続きは、過度な保護策が自由貿易体制に与える影響を調整する役割を果たしている。

日本と産業保護主義

日本でも明治維新後、条約改正によって関税自主権を回復すると、繊維産業や重工業を育成するために産業保護主義的政策がとられた。国家主導の殖産興業、財閥を通じた重化学工業の育成は、やがて軍需産業の発展とも結びついた。戦後も高度経済成長期には、輸入規制や産業政策を通じて特定産業を重点的に保護・育成し、自動車・電機など輸出主導型産業の競争力強化に成功した。

一方で、日本経済が成熟段階に入ると、日本の経済史の文脈においても自由化・規制緩和が進められ、かつてのような露骨な産業保護主義は後退したとされる。しかし通商摩擦の局面では、農業分野の関税・数量制限や技術標準をめぐる議論など、保護と開放のバランスをめぐる問題が繰り返し浮上している。

自由貿易との関係

産業保護主義は、しばしば自由貿易と対立概念として語られるが、歴史的には両者が時期や国によって使い分けられてきた。後発国が保護政策によって工業化に成功した後、国際競争力を獲得すれば、今度は自由貿易を主張する立場へと転じるというパターンも見られる。この意味で、保護か自由かという単純な二分法ではなく、国家の発展段階や国際情勢に応じて両者が組み合わされてきたと理解される。

総じて産業保護主義は、自国産業の育成と国際競争力の向上を目的としつつも、過度になれば非効率や国際摩擦を招く危険をはらむ政策である。歴史的事例や各国の経験を比較検討することで、保護と開放の適切なバランスを探ることが、経済史・経済政策研究にとって重要な課題となっている。