柳田国男
柳田国男は民俗学・農政学者である。日本民俗学の創始者。主著は『遠野物語』『先祖の話』『山の人生』『妹の力』『明治大正史世相篇』である。東京帝国大学(現東京大)を卒業後、農商務省に勤務し、その後、朝日新聞の論説委員などを務め、農政学的な農民研究を行った。柳田国男は農民研究を通して、全国の農山村を歩き、しだいに農民の生活文化に関心をもち、民俗学へと進んだ。晩年は、沖縄や南島文化の研究に取り組み、中国大陸南部から沖縄、南西諸島、九州に至る海上の道を日本文化の起源の一つとして提唱した。民俗学を日本のみを研究対象にするものととらえ、日本人の自己認識の学問であるとした。その研究領域を農民から日本人全体に拡大し、村落共同体、村社会と生活、民間信仰、伝説や昔話、習俗、社会規範と体系的に論じる民俗学を確立した。また、歴史が常に英雄や偉人を中心に記されたことを批判し、民間伝承の担い手である「常民」の生活の中に日本人の文化的基底を求めた。柳田国男は民俗学を「新国学」とも呼び、日本人の精神を研究する学問とし、日本文化研究に多大な功績を残した。
柳田国男の生涯
日本民俗学の創始者で、兵庫県に生まれる。幼少時からすぐれた記憶力を持っていたと言われる。青年時代には、森鷗外、田山花袋、国木田独歩らと交わり、自らも『文学界』などに投稿し、ロマン派の詩人としても注目された。東京帝国大学法学部を卒業後、農商務省に入った。農村の実状に即した農政論を主張し、農民生活に関心を持ち、しだいに民俗を学の研究を進めた。柳田国男は、民俗学を日本人の自己認識の学と規定し、無名の常民の生活文化を民俗学の研究対象とした。そして、これまでの文献中心の歴史学を批判し、古い民間伝承や習俗・信仰を求めて日本全国をめぐり、その研究を通して日本民族の歴史・文化を探りあてようとした。こうして柳田は民俗学を確立し、日本文化の研究に多大の功績を残した。また、民俗学を明治の一方的な西洋文明礼賛ではなく、日本人の精神を探究する学問として新国学とも呼んだ。晩年には、日本文化の起源の一つとして、中国南部から沖縄などの南西諸島をへて九州にいたる海上の道を構想した。
柳田国男の略年
1875 兵庫県に誕生。
1900 東京帝国大学卒業。農商務省に勤務。
1910 『遠野物語』出版。
1911 南方熊楠との文通始まる。
1915 折口信夫と出会う。
1947 自宅に民俗学研究所を設立。
1951 文化勲章受章。
1962 死去。
民俗学
民俗学とは、主として民間伝承・民間信仰・常民の生活文化・方言などを素材として民族の伝統的文化を研究する学問である。文献にたよらず、口承・伝承の資料収集を重視し、伝統文化の核心にせまろうとする。歴史的には、19世紀のイギリスから始まるが、わが国では柳田国男によって確立され、展開された。
祖先霊
祖先霊は、死んだ祖先の魂が現世に霊としてとどまることである。主著である『先祖の話』では、死者の霊が「天国」「地獄」という現世とは別次元の世界に行くのではなく、「祖先霊」としていつでも子孫の元にやつてくる、という民間信仰を明らかにしている。確かに現在のわれわれにもお盆には「地獄の釜が開く」という伝承を受け入れる素地がある。 特にこの「祖先霊」は山中に漂うこと多く、そこで魂の浄化をされて、子孫の弔い方によって守護神にも悪霊にも転ずる、という。平安時代の「御霊信仰」に典型的に現れている考え方だが、柳田は彼が調査した当代でもその考えが根強いことを明らかにした。
常民
常民とは、民間伝承を保持している階層で、祖霊信仰を共有しながらムラに定住する民衆層のことで、柳田国男は常民を学問対象とした。英語のfolkに関する柳田による訳語である。無名の農民を中心としており、柳田は文献史学では対象にならない彼らの日常生活の意識に対する歴史を明らかにしようとした。平民や庶民とほぼ同義であるが、貴族や武家の対語と思われ、一方で大衆や民衆という言葉には政治的語感が避けられない。柳田は知識人と常民を対立的に使い、常民こそ歴史を支えてきた存在であると考え、常民の生活を民俗学の研究対象とした。
先祖崇拝
キリスト教における天国、浄土教系仏教における浄土系仏教における阿弥陀仏の極楽浄土など「人間の死とは肉体の死であり、魂は不死で現世とは異なる世界に往く」という生命観はどこの国でもあるが、日本においては、異なる世界である「他界」は「現実の世界と一元的なもの」と考えられた。生と死は断絶したものではなく、自然の力によって一つにつながっており、死者の霊は子孫の追慕や祭祀により浄められ、祖先の霊と一体化し、田の神や山の神となって子孫を見守り、幸福をもたらすとされた。死んだ人間の魂はそう遠くない地上のどこかにとどまるのだという日本人の信仰は古く、そして今なお存在している。そしてこの信仰はわれわれの生活や歴史におびただしい影響を与えてきたものと考えられる。魂というものをこのように考えるか、仏教的にはるか遠方に行ってしまうと考えるかの違いは先祖祭のあり方を左右する。いろいろあっても、古代からのこの信仰は、われわれが無意識に盆正月で行うことに保存されている。
私がこの本の中で力を入れて説きたいと思ふ一つの点は、日本人の死後の観念、即ち霊は永久にこの国土のうちに留まつて、さう遠方へは行つてしまはないといふ信仰が、恐らくは世の始めから、少なくとも今日まで、可なり根強くまだ持ち続けられて居るといふことである。
なほ今日でもこの考へ方が伝はつて居るとすると、是が暗々裡に国民の生活活動の上に働いて、歴史を今有るやうに作りあげた力は、相応に大きなものと見なければならない。先祖がいつ迄もこの国の中に、留まつて去らないものと見るか、又は追々に経や念仏の効果が現はれて、遠く十万億土の彼方へ往つてしまふかによつて、先祖祭の目処と方式は違はずには居られない。さうして其相違は確かに現はれて居るのだけれども、なほ古くからの習はしが正月にも盆にも、その他幾つと無く無意識に保存せられて居るのである。
言語への関心
柳田は民俗学だけでなく、言語にも強い関心を持ち、方言や語彙の研究を通じて文化の地域差と歴史的変遷を明らかにしようとした。特に「言霊」や「名付け」の研究は、言葉が文化や信仰と密接に関わることを示す重要な視点であり、民俗学と言語学の交差点に位置するテーマでもある。
柳田国男の主著
柳田の主著には、日本民俗学を体系化する上で重要な位置を占める作品が数多く含まれている。特に1910年に刊行された『遠野物語』は、岩手県遠野地方に伝わる口承の伝説や民話を記録したものであり、日本民俗学の出発点とされる。この作品は、庶民の語りの中に潜む信仰や価値観を明示的に描き出しており、学術的な資料としても文化記録としても高く評価されている。また、『郷土生活の研究』『海上の道』『先祖の話』『蝸牛考』なども著名である。『海上の道』では日本文化の起源を南方に求め、交易や航路を通じた文化伝播の可能性を論じている。『先祖の話』では日本人の祖霊信仰や死生観に迫り、『蝸牛考』では方言と生活文化の関連を精緻に分析しており、言語と民俗の接点に光を当てた。これらの著作は単なる伝承の記録にとどまらず、民族的想像力と歴史的洞察に基づく包括的な文化研究の成果である。
『遠野物語』
『遠野物語』は(1910 明治43)は柳田国男の農商務省時代の調査をもとに著されている。現在の岩手県遠里野市の周辺に伝わる民間伝承を筆録したものである。山の神や河童を学をめぐる怪異譚などが記されている。この作品は単なる民話集ではなく、民間信仰のあり方、伝承の伝達構造、語り手と聞き手の関係など、多層的な視点から分析する価値を持つ。
『先祖の話』
『先祖の話』(1946 昭和21)年は、柳田国男が日本人の祖霊信仰についてまとめた。戦死していった多くの若者への思いが背景にあった。死者の霊は子孫の追慕いや祭祀によって、生前のけがれが清められて先祖の霊と融合する。先祖の霊は村を見下ろす山から子孫の生活を見守り、春は田の神となって農耕を助け、秋には山の神となり、正月・盆・祭りなどの年中行事には家を訪ねて子孫と交歓応えする。
雑誌『郷土研究』
1913年には雑誌『郷土研究』を創刊し、各地の在野研究者と連携しながら地域の言い伝えや風俗を記録・分析する活動を展開した。このネットワークは後の『民俗学』の学問的基盤を築く役割を果たした。また、折口信夫や南方熊楠などの民俗研究者とも交流があり、彼らとともに新しい文化理解の枠組みを形づくった。
『海上の道』
晩年の柳田は、日本文化の起源を南方に求める研究にも着手し、『海上の道』という著作を著した。これは、日本列島に伝わる神話や風俗が、海を通じて南方地域と繋がっている可能性を示唆するものであり、日本文化の成り立ちを広域的視点から捉え直す試みであった。このような比較文化的アプローチは後年の研究者にも多大な影響を与えた。
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