木綿工業
木綿工業とは、木綿の繊維を紡いで糸とし、それを織物に仕上げるまでの一連の生産活動を担う産業である。とくに近世末から近代初頭のイギリスにおいては、伝統的な羊毛中心の織物業を凌ぐ成長を示し、やがて産業革命を牽引する中核部門へと発展した。手工業的な家内制工業から工場制機械工業への転換は、この部門で最も早くかつ徹底的に進み、技術革新・労働形態・国際貿易・社会構造の各面に深い影響を与えた。
木綿工業の性格と位置づけ
木綿工業の特徴は、軽工業でありながら広大な市場をもち、比較的少ない初期投資で大規模な生産拡大が可能であった点にある。木綿布は肌触りが柔らかく、洗濯に耐え、染色もしやすいため、日常衣料や寝具として庶民層まで広く需要が存在した。こうした性質から木綿は「大量生産・大量消費」に適した素材であり、機械化された工場制生産と結びつくことで、近代的な資本主義社会の典型的な産業部門とみなされるようになった。
歴史的背景とインド更紗の影響
ヨーロッパの木綿製品への関心は、インド産の更紗(カリコ)の流入によって高まった。東インド会社を通じて輸入されたこれらの綿布は、軽く色彩も鮮やかで、当初は高級嗜好品として上層階級に消費されたが、次第に広い層に浸透し、国内産業の育成を求める声を強めた。この流れのなかで、イギリスの企業家たちはインド綿布を模倣・代替する国産の木綿製品の開発に乗り出し、やがて本格的な木綿工業が成立していく。
農業革命・エンクロージャーとの関係
イギリスで進行した農業革命とエンクロージャー(第2次)は、農業生産性を高めると同時に、多くの農民を土地から切り離し、都市や工業地域へと向かわせた。この人口移動は、賃金労働者としての豊富な労働力を木綿工業に供給し、工場制機械工業の成立を容易にした。また、土地から得られる地代や農業収益は、企業家や地主による投資資金となり、紡績機や織機への設備投資を下支えした。
ノーフォーク農法と綿工業の結合
輪栽式の改良であるノーフォーク農法は、飼料作物や根菜栽培の拡大を通じて家畜頭数と肥料供給を増やし、農業全体の生産性を底上げした。その結果、余剰人口と資本が生じ、これが木綿工業や綿工業への投資に向かう構図が形成されたと理解されている。
技術革新と工場制機械工業
紡績・織布の分野では、多数の画期的な発明が相次いだ。これらの発明は、手作業に依存していた工程を機械化し、生産速度と生産量を飛躍的に高めた。
- 紡績では、多錘式紡績機や水力紡績機、ミュール紡績機が登場し、熟練度の低い労働者でも均質な糸を大量に生産できるようになった。
- 織布では、力織機の導入によって織りの工程が機械化され、糸の供給拡大と歩調を合わせることが可能となった。
- 蒸気機関の応用により、工場は水利に制約されず都市近郊にも立地できるようになり、労働力の集中が一層進んだ。
木綿工業と金融・貿易
木綿工業の拡大には、原料輸入と製品輸出を支える金融・信用制度が不可欠であった。イギリスではイングランド銀行の発展や国債市場の整備により、企業家が長期の運転資金や設備資金を調達しやすい環境が形成された。また、アメリカ南部やインドからの原綿輸入、ヨーロッパ・アフリカ・アジアへの綿製品輸出は、世界商業ネットワークと結びつき、やがて世界最初の産業革命の成果を世界規模に波及させる役割を果たした。
社会構造と二重革命
木綿工業の発達は、工場労働者階級の形成や都市の人口集中を通じて社会構造を大きく変化させた。伝統的な手工業者や農民は、賃金労働者として工場に組み込まれ、長時間労働・低賃金・劣悪な労働環境といった新たな問題にも直面した。他方で、成功した企業家や商人は新たな中産階級として台頭し、政治的発言力を強めていく。こうした経済構造の変容は、政治・社会の変革とともに二重革命と捉えられ、近代の資本主義社会の成立過程を理解する上で欠かせない視点となっている。