星室庁裁判所
星室庁裁判所は、15世紀末から17世紀前半のイングランドに存在した特別裁判所である。王権の監督下にある評議会的司法機関として、暴力沙汰や権力者の不正、陪審の買収、名誉毀損など、通常の普通法裁判所では十分に対処しきれない事件を扱った。英語では“Star Chamber”と呼ばれ、監督官庁である王室評議会の一部として運用され、書面審理と取り調べを重視し、陪審を用いない手続を特徴とした。とりわけテューダー朝下で王権強化の道具として機能し、スチュアート朝には言論・出版統制や威嚇的懲罰の象徴となったが、1641年に長期議会によって廃止された。
成立と制度的背景
星室庁裁判所の起源は中世の王室評議会にさかのぼるが、制度的枠組みはヘンリ7世期(1487年頃)に整備された。目的は、地方の名門層が行う私的な威圧(メンテナンス)や暴力的紛争、陪審への圧力など、普通法の厳格な訴訟形式では救済が困難な事案を、迅速かつ柔軟に裁くことにあった。王権の権威付けと治安回復、租税・秩序政策の貫徹がその政治的背景である。
構成と管轄
星室庁裁判所は、大法官や大蔵卿、枢密院顧問官、しばしば普通法裁判所の判事らで構成された。民事・刑事の境界を越えて職権的に事件を取り上げ、地方の権門や官吏の不正、陪審操作、贈収賄、暴行・騒擾、公権力の濫用、名誉毀損や扇動的な流言等を幅広く扱った。量刑としては罰金・拘禁・耳切り・烙印・公開辱めといった威嚇的懲罰が用いられたが、通常は死刑を言い渡す法廷ではなかった。
手続の特色
星室庁裁判所は陪審を用いず、衡平法的・大陸法的色彩を帯びた書面中心の審理を行った。訴状・答弁・尋問事項(インタロガトリ)を重ね、宣誓供述や証拠書類を精査する運用で、口頭弁論よりも文書主義が優越した。自白の重視や自己負罪に関わる供述の強要は、普通法の権利保障と緊張関係を生み、後世には恣意的・密室的という負の評価の根拠となった。
扱われた主要類型
- 権門・家臣団による威圧(メンテナンス)や騒擾、武装示威の抑止
- 官職売買、収税・関税に関わる汚職、公権力の濫用
- 陪審買収・証人威迫・偽証といった司法妨害
- 誹謗文書・扇動文書の頒布や印刷統制違反、名誉毀損(とりわけ“seditious libel”)
テューダー朝における役割
ヘンリ7世とヘンリ8世の時代、星室庁裁判所は地方秩序の再建と王権の可視化に貢献した。封建的残滓である私戦的紛争の抑え込み、豪族の越権行為の摘発、都市・交易統制の執行など、統治の細部に踏み込む司法行政的役割を担い、王令・評議会命令の遵守を確保した。これは、普通法裁判所の遅延・形式主義を補完する一方で、評議会司法の自律性を強める効果ももたらした。
スチュアート朝下の拡張と批判
ジェームズ1世・チャールズ1世の時代には、星室庁裁判所の威嚇的判決が目立ち、反王権的論者や印刷業者への厳罰が政治的不満を増幅させた。名高い事例として、清教徒系の活動家が耳を切られ烙印を押されるなどの苛烈な懲罰を受け、言論抑圧の象徴とみなされた。コークら普通法法曹は、王権優越を支える評議会司法に対し、法の支配と陪審制度の擁護を掲げて制度的批判を強めた。
出版統制と“Star Chamber Decree”
1630年代には印刷免許制や事前検閲が強化され、星室庁裁判所は出版統制の法的基盤として機能した。1637年のいわゆる“Star Chamber Decree”は印刷所の登録・発行許可・検閲体制を再編し、無許可出版・扇動的文書の摘発を促進した。これにより反体制的パンフレットの抑圧は進んだが、同時に反権力世論を刺激し、議会派の法的・政治的反撃を招いた。
廃止と長期的影響
1641年、長期議会は「枢密院の規整および通称星室庁裁判所の撤廃に関する法律」により同法廷を正式に廃止した。これは、評議会司法による恣意の余地を狭め、普通法裁判所の優位と議会主権の進展を画する転機であった。近世イングランドの経験は、自己負罪拒否や公開裁判、言論・出版の自由といった原則の重視へと接続し、“Star Chamber”は後世、密室・恣意・政治的弾圧の代名詞として語られるようになった。
語源と空間
名称の由来は、ウェストミンスター宮殿内の会議室の天井装飾(星形模様)に因むとされる説が広く知られる。実証的確定には議論の余地があるが、少なくとも政治評議と司法が交錯する「星の間」での審理が、制度の象徴性を強めたことは確かである。建築空間の象徴性は、密議的・威圧的という後世のイメージ形成にも影響した。
年表(主要項目)
- 1487年頃:ヘンリ7世期に評議会司法の枠組みが明確化
- 16世紀:テューダー朝下で地方秩序の回復に中心的役割
- 1600~1630年代:名誉毀損・出版統制・政治事件で活発化
- 1637年:“Star Chamber Decree”により印刷規制を再編
- 1641年:長期議会が星室庁裁判所を廃止
歴史的意義
星室庁裁判所は、王権国家の行政的司法が普通法裁判所を補完・凌駕し得たことを示す典型である。他方、手続的保障を犠牲にした強権的運用は、近代的自由の理念と制度化(公開性・陪審・被疑者保護)を推進する負の教訓ともなった。秩序維持と権利保障の緊張を可視化したこの法廷の経験は、近代法の自画像に陰影を与え続けている。