日本銀
日本銀とは、日本列島で産出・鋳造された銀、または東アジア・世界の商業圏で「日本産銀」として流通・計量された品位の銀を指す。中世末から近世初頭にかけて石見・但馬・陸奥などで採掘と精錬が飛躍し、16〜17世紀にはアジア有数の供給地として国際市場に参入した。灰吹法に加え、16世紀後半に導入された南蛮吹き(水銀アマルガム法)の普及は増産をもたらし、近世日本の貨幣・会計慣行(銀目)と長崎を軸とする海外交易を支えた。近世後期には流出規制と規格の再編が進み、明治期には近代貨幣制度と「貿易銀」に位置づけを変えつつ、列島経済とアジア海域の結節点で機能した。
語義と時代的射程
史料上の日本銀は二重の意味をもつ。第一に国内で採掘・精錬された地金そのもの、第二に明清期を中心とする国際市場で「日本産」と認識された正目の銀地金である。東アジアでは朝貢・互市や私貿易の場で産地や品位が重視され、秤量貨幣の世界において日本産は一定の信頼を得た。とくに長崎—福建・広東—東南アジアへと連なる海域ネットワーク(朝貢や港湾互市と接続)が、名称としての日本銀を定着させた。
鉱山開発と精錬技術
中世末、日本列島の銀山は在地勢力と商人・鍛冶集団の結合により再編され、坑道技術・排水・搬出体制が整った。灰吹法により含銀鉛から銀を回収し、南蛮吹きの導入はさらに歩留まりを高めた。これにより日本銀の供給量が増し、戦国末—織豊期の軍需・城下町経済、のちの幕藩体制下の財政基盤に寄与した。鉱山経営には労務・材木・炭など広域の資源動員が伴い、鉱山町は消費・金融の拠点として発達した。
銀目経済と貨幣構成
江戸時代の流通は金・銀・銭の三貨が併存し、上方の卸売・遠隔商取引では銀建て(銀目)が標準化した。銀は計数貨幣ではなく秤量で授受され、地金流通を補うため規格化された地金貨が用いられた。とくに日本銀の代表形態として丁銀・豆板銀が知られる。
丁銀・豆板銀の性格
- 丁銀:棒状の延べ銀で、品位刻印や極印をもつ。大口決済や両替に適し、商業中心地での取引に広く用いられた。
- 豆板銀:小型の板状銀。小口の支払いや釣銭機能を担い、丁銀との組み合わせで機動的決済を可能にした。
海上交易と流通ネットワーク
日本銀は、朱印船・唐船・南蛮船の往来とともに東アジア海域を循環した。季節風に規定された定期航海(季節風貿易)と、堅牢で積載力に優れた中国系帆船(ジャンク船)の運用が、長崎を起点に福建・広東、東南アジア諸港、インド洋岸を結んだ。国内側では大坂の蔵屋敷や掛屋が為替と延宝以降の相場を支え、金銀比価の変動が輸出入の収益性を左右した。
織豊政権と統一権力の関与
戦国末、織田信長は楽市・座の再編と流通の自由化を推進し、鉱山・流通利得の集約を図った。秀吉政権は検地・刀狩と並行して鉱山統制と海外交易の統御を進め、海賊取締・朱印状発給で航路の安全を確保した(豊臣秀吉)。この枠組みは江戸初期の朱印船制度へと継承され、長崎—東アジア航路で日本銀が大量に移動した。
明清財政の銀納化と需要
中国側では唐末の両税法から貨幣納志向が強まり、明代には一条鞭法などで租税の銀納化が進展した。これにより市場で信頼される秤量銀の需要が増大し、国際銀(スペイン銀・日本銀など)が流入して物価・歳入の安定化に寄与した。港市では公許互市と密貿易が併存し、名目上の冊封や通交儀礼を介して商品と銀が往還した。
流出規制と品位管理
17世紀後半、過度な金銀流出は国内価格と財政を圧迫したため、幕府は輸出規制や改鋳を繰り返し、品位・形状・極印による管理を徹底した。銀座・吹所の体制下で日本銀の規格化が進み、相対立合いの相場形成と為替の発達が商業秩序を安定させた。他方、比価変動は海外の銀流入・流出を誘発し、長崎貿易の許認可と検査が強化された。
世界交易と価格革命の文脈
16世紀以降、アメリカ産銀が大西洋—太平洋を横断してアジアに流入する一方、日本銀は東アジア域内の決済手段として機能し、香料・絹・陶磁など高付加価値品と交換された。港市・国家・商人が結ぶ広域ネットワークは、東西の貨幣圏を媒介し、物価変動や財政構造にも影響を及ぼした。戦国末の商業拡大から近世の交通整備に至る連続性は、列島経済を世界史の潮流へ接続した。
幕末・明治と近代貨幣制度
幕末の開港(幕末期の貿易・黒船来航)で国際相場が直撃すると、金銀比価の差を突く流出入が生じ、改鋳と通貨制度再設計が不可避となった。明治4年の新貨条例は円・銭・厘の近代貨幣を導入し、対外決済向けには高品位の「貿易銀」を鋳造してアジア市場に対応した。のちに金本位制へ移行しても、列島の工業化と貿易拡大において銀需要は持続し、地金・工業材としての役割を保った。
史料・計量・品位表示
史料上の日本銀には、目方(匁・貫)と品位(吹別・割り金)の記載が伴い、秤量貨幣としての性格が鮮明である。商取引では極印・改印の信用が決済コストを下げ、相対での品位検査や手数料の習俗が確立した。こうした制度運用は、東アジアの政治儀礼と市場秩序(中国文明の財政・法制度の文脈)と連動し、海域世界の長期的安定を支えた。