審査法の廃止
審査法の廃止とは、フランス復古王政末期に制定された新聞・出版に対する事前検閲制度を、七月革命後の七月王政政府が撤回した出来事である。審査法は王権とカトリック教会を批判する新聞やパンフレットを押さえ込むために設けられ、立憲君主制を掲げる復古王政の中でも特に反動的な政策として自由主義勢力の強い反発を招いた。その後、1830年の七月革命によってシャルル10世が退位し、ルイ=フィリップが市民王として即位すると、新政権は自由主義的改革の象徴として審査法の廃止に踏み切り、報道の自由拡大を内外に示した。この転換は、フランスにおける立憲主義と自由主義の進展を象徴する出来事として、19世紀ヨーロッパ政治史の重要な一場面を構成している。
審査法の成立背景
審査法は、ナポレオン失脚後に成立したブルボン朝復辟、いわゆる復古王政の政治状況の中で生まれた。ウルトラ王党派と呼ばれる保守派は、革命と帝政によって動揺した王権と教会の権威を回復しようとし、議会や世論を統制しようとした。その中で新聞・パンフレットが反政府世論の形成に大きな役割を果たすようになると、政府は事前検閲を含む報道統制立法を強め、最終的に厳格な検閲制度として審査法を整備した。このような制度は、表現の自由を重視する自由主義ブルジョワジーの価値観と正面から衝突し、のちに審査法の廃止を要求する運動へとつながっていった。
復古王政と報道統制
復古王政下の報道統制は、単に新聞を取り締まるにとどまらず、政治結社や集会を制限し、政権批判の拡大を未然に防ぐことを狙っていた。審査法は、新聞や定期刊行物の発行に際し、原稿をあらかじめ当局に提出させ、不適切と判断された記事を発行前に削除させる仕組みであった。その結果、政府に批判的な新聞はたびたび発行停止や押収の対象となり、ジャーナリストは多くの罰金・投獄の危険にさらされた。この抑圧は、法律家、実業家、知識人を中心とする自由主義勢力の結集を促し、のちの七月革命の一因となる。こうした経過を踏まえると、七月王政による審査法の廃止は、単なる法改正ではなく、復古王政の反動政治からの決別宣言と理解できる。
七月革命と審査法の廃止
1830年の七月革命は、シャルル10世が出した七月勅令により、議会解散や選挙法改正とともに、新聞の自由をさらに制限しようとしたことが直接の契機となった。パリの新聞人たちはこれに対抗して抗議声明を出し、市民や労働者が加わった街頭闘争へと発展する。結果として王は退位に追い込まれ、ルイ=フィリップを頂く七月王政が成立する。新政権は正統主義王政との違いを示すため、憲章の改正と並んで審査法の廃止を決定し、事前検閲制度を撤回した。これにより新聞は発行前の許可を必要としなくなり、七月王政は「自由主義的王政」としての性格を国内外にアピールすることに成功したのである。
審査法廃止の内容と限界
審査法の廃止によって事前検閲は撤回されたが、報道の自由が無制限に保障されたわけではなかった。政府は、名誉毀損や治安秩序の攪乱を理由として新聞社を起訴する権利を保持し、罰金刑や発行停止措置などの事後規制を通じて一定の抑制を維持した。また、新聞税や印紙税といった経済的負担も残され、資本力の乏しい小規模な新聞が継続的に発行することは容易ではなかった。それでも、政府批判を含む多様な政治的意見が紙面に現れるようになり、都市ブルジョワジーの政治参加意識は高まった。こうした点から、審査法の廃止は不完全ながらも、立憲政治を支える世論形成の基盤拡大に重要な役割を果たしたと評価できる。
自由主義的改革との関連
審査法の廃止は、七月王政が行った一連の自由主義的改革の中に位置づけられる。七月憲章は王権の特権を縮小し、議会の権限を相対的に強化した。また選挙法の改正により有権者は拡大し、財産を持つブルジョワジーが政治の主体として台頭した。これらの措置と並んで報道の自由拡大が進んだことにより、議会政治をめぐる情報が広く流通し、政治的議論が公共空間で展開されるようになる。このような変化は、ベルギー独立運動やイタリア・ドイツの反乱など、ヨーロッパ諸地域の自由主義運動とも共鳴し、フランスが再び政治変動の中心として注目される背景となった。
思想界・文化への波及
審査法の廃止による検閲撤廃は、政治報道だけでなく思想・文化の領域にも影響を与えた。新聞や評論誌は、政府批判に加えて歴史・哲学・文学に関する議論を盛んに掲載し、都市の読者層に広がっていった。のちの時代に活躍するフランスの思想家サルトルや、ヨーロッパ思想史に大きな影響を与えたニーチェのような人物も、こうした表現の自由拡大と公共圏の形成という長期的流れの上に位置づけることができる。この意味で審査法の廃止は、単なる政治制度の改正にとどまらず、19世紀以降のヨーロッパ文化を形作る前提条件の一つであったといえる。
歴史用語としての審査法の廃止
歴史教育や通史叙述において、審査法の廃止という語は、復古王政の反動的な報道統制と、それに対する七月王政の自由主義的転換を簡潔に示す用語として用いられることが多い。七月革命、ルイ=フィリップ、市民階級の台頭といった周辺事項と関連づけて理解することで、19世紀前半フランスにおける「自由」と「秩序」のせめぎ合いを立体的に把握することができる。そしてこの経験は、後の共和制の成立や、近代民主主義国家における表現の自由論にもつながる問題として、今日においても参照され続けている。