室利仏逝|海上交易で繁栄したスマトラ王国

室利仏逝

室利仏逝は、中国・日本の史料でシュリーヴィジャヤ(Srivijaya)を指す呼称であり、7〜13世紀を中心にスマトラ島南部パレンバン周辺を拠点とした海上国家である。マラッカ海峡と南シナ海を結ぶ要衝に位置し、香料・金・樹脂・陶磁・布帛などの交易を媒介して繁栄した。唐代の史書には「室利佛逝」として、宋代にはより広域的な「三仏斉」として現れ、海上交通の結節点として朝貢・互市のネットワークに組み込まれた。義浄の旅行記は仏教学術の興隆を伝え、スマトラが戒律学習や経典翻訳の場であったことを示す。碑文史料は古マレー語とサンスクリットを用い、王権と港市連合の統合を示している。

名称と史料の位置づけ

唐代の史書(『旧唐書』『新唐書』)は室利仏逝を南海の大国として記し、宋代史料(『宋史』)は「三仏斉」として多港湾の連合的実態を描く。僧・義浄は渡海途上で長期滞在し、学僧往来・翻訳活動の拠点としての実像を伝えた。表記は「室利佛逝」「室利仏逝」など揺れがあるが、いずれもシュリーヴィジャヤを指示する用字である。こうした外部史料は、スマトラ島内の碑文(ケドゥカン・ブキット碑文など)と突き合わせることで政治地理の復元に資する。

地理と海上交通

拠点は現在のパレンバン周辺で、マラッカ海峡とカリマタ海峡の分岐点にあたる。ここを抑えることで、インド洋と南シナ海を行き交う季節風航海の律動に沿って船舶・商人・僧侶・使節を受け入れ、停泊・再積み替え・関銭・保護を提供した。半島側のケダラム(カダラム)やリゴール、ジャワ島の港とも結び、東南アジアの海域世界に多焦点ネットワークを形成した。

政治構造と王権

室利仏逝の王権は「マハーラージャ」と称された大王を頂点に、複数の港市と内陸の産地・水系を束ねるマンダラ型のゆるやかな同心圏を成したと理解される。収入は関税・通行保護・交易利潤に依拠し、港市首長層の合意形成と仏教的権威付けが支えた。王命に基づく遠征・制圧を刻む碑文は、航路の安全確保と朝貢圏の維持を主眼としていたことを示唆する。

宗教と文化

仏教は大乗・密教要素を含み、戒律・論理・翻訳の学苑として名高かった。チベット仏教の導師アティーシャがスマトラで学んだ伝承は、当時の学術的吸引力を物語る。碑文は古マレー語とサンスクリットで刻まれ、パッラヴァ系文字が用いられた。これらは王権の布告、河川・航路・港湾の掌握、仏教的功徳の宣言などを記し、政治と宗教の相即性を示す物証である。

主要碑文と物証

  • ケドゥカン・ブキット碑文(683年頃):遠征と加護の宣言を刻む。
  • コタ・カプール碑文(686年頃):外縁島嶼への制裁・保護規定。
  • テラガ・バトゥ碑文:王権への忠誠・背反への呪詛を列挙。

外交・軍事とチョーラ朝の侵攻

唐・宋への朝貢は互市と一体であり、陶磁・金属器・香料の流通を促進した。一方、11世紀に南インドのチョーラ朝が来寇し、1025年の遠征で要港や王都を襲撃したことが記録に残る。これにより港市ネットワークは攪乱され、半島側やジャワとの力学も変化したが、交易自体は形を変えつつ継続し、名称としては「三仏斉」が優勢となる。

繁栄と衰退の過程

室利仏逝は7〜10世紀に最盛期を迎えたのち、11世紀の軍事的衝撃と諸港の自立化、航路の分散、半島・ジャワ諸政権の台頭によって相対的に後退した。13世紀にはスマトラ内陸の勢力やジャワの覇権国家が主導権を強め、やがてマレー半島・スマトラの交易の中心は新興の港市へ移っていく。15世紀のマラッカの興隆は、同海域における交易秩序の再編を象徴する出来事であった。

研究史と議論点

都城の所在(パレンバン中心説とジャンビ重視説)、〈室利仏逝〉と〈三仏斉〉の関係、港市連合の重層性、王権と在地首長の権限配分、仏教学苑の実態など、多くの論点が残る。碑文の読解は水系交通と軍事・祭儀の連関を示し、中国史料は朝貢と互市の制度枠組みを伝える。両者を照合することで、海域アジアにおける「港市間ネットワーク国家」という像が具体化してきたのである。

関連地名・概念

  • パレンバン(巨港)とムシ川水系
  • マラッカ海峡・南シナ海・季節風航海
  • 港市(ポート・ポリティ)とマンダラ・モデル

経済と社会の基層

経済の基盤は水運・沿岸航行に支えられた中継貿易である。王権は港湾施設の維持、海賊取締り、計量・関税の統一など制度的整備を通じて交易の信頼性を担保した。社会面では多言語・多宗教の民が往来し、古マレー語が実務言語として機能した。陶磁・ガラス・ビーズの出土は広域的な結節性を示し、香料・樹脂・金など内陸資源の外洋輸出が港市を潤した。

東南アジア史上の意義

室利仏逝は、海域を媒介に成立した国家の典型例として、陸上帝国とは異なる統治論・経済論の素材を提供する。碑文・中国正史・旅行記という異質史料の交叉は、海の道が生んだ複合世界の歴史叙述に不可欠である。