宗教協約
宗教協約とは、国家権力と教会権威の関係を条約形式で定める取り決めであり、とくにフランス史では宗教協約といえば一般に、ナポレオンとローマ教皇ピウス7世の間で結ばれた1801年の協約を指すことが多い。この協約は、フランス革命期に深く対立した国家とカトリック教会の関係を再編し、教会を国家の統制下に置きつつ信仰の自由と社会統合を図った点で、近代ヨーロッパの政教関係史において重要な意味をもつ制度的枠組みである。
概念としての宗教協約
宗教協約は、一般に国家と教会が互いの権限・権利・義務を明文化する協定である。ここでいう教会とは主としてカトリック教会を指し、ローマ教皇や司教団との間で締結されることが多い。国家側からみれば、国内統治に協力する代償として教会に一定の特権や法的地位を与える仕組みであり、教会側からみれば、信仰と組織の存続を保障するかわりに国家への忠誠と協力を認める枠組みである。このような協約は、旧体制下でも存在したが、革命や政変を経て政教関係を再構築する局面でとくに重視された。
フランス革命と教会問題の背景
フランスでは1789年のフランス革命ののち、教会財産の没収や聖職者の公務員化など急進的な改革が行われた。1790年の「聖職者市民憲章」は、司教・司祭を選挙で選出し国家への宣誓を義務づけたため、多くの聖職者は良心の問題からこれを拒否し、教皇庁との対立が深まった。革命政府は一時期、理性崇拝や最高存在崇拝を掲げてカトリックを排除し、教会は民衆の信仰生活から切り離された。こうして国民国家と教会の関係は断絶し、信仰をめぐる分裂が政治的対立と結びついて内戦の要因ともなった。
1801年宗教協約の成立
総裁政府期の混乱を経て権力を掌握したナポレオンは、内政安定のために教会との和解が不可欠であると判断した。彼は、革命による制度改革を維持しつつ、信仰心の厚い農民や都市民を体制支持へと取り込むことを狙ったのである。こうして第一統領政府はローマ教皇ピウス7世との交渉を開始し、1801年に宗教協約を締結した。この時点でフランスの政治体制は、総裁政府に代わり統領政府へと移行しており、新体制の正統性を国民の前に示すうえでも、教会との和解は象徴的な意味をもっていた。
宗教協約の主な内容
1801年の宗教協約は、国家と教会の妥協の産物として次のような点を定めた。
- フランスにおいてカトリック教は「多数のフランス人の宗教」であると認められたが、唯一の国教とはされず、信教の自由が容認された。
- 教皇はフランス国内の全司教に辞任を求め、新たな司教区の編成を認めたうえで、政府の提名した司教を教皇が任命する形がとられた。
- 革命期に没収された教会財産は原則として返還されず、その代償として国家が聖職者の給与を支給することになった。
- 聖職者は国家に忠誠を誓い、同時に教会法にも従うという二重の服従を負うこととなり、教会は事実上、国家統制のもとで公的役割を担う存在に位置づけられた。
影響と歴史的意義
この宗教協約により、革命期に断絶していた国家と教会の関係は、対立から妥協へと転じた。カトリック教会はフランス社会における制度的地位を回復しつつも、旧来のような特権身分ではなく、国家の一機関として再編成されたのである。他方、国家は信仰の自由を一定程度認めながら、教育や婚姻、祝祭日など生活文化の領域で教会の影響力を活用し、統合と秩序の維持を図った。この枠組みは復古期のブルボン朝や七月王政期にも受け継がれ、のちの政教分離法によって根本的に改編されるまで、フランスの政教関係を規定し続けた。したがって宗教協約は、革命によって破壊された旧来の教会特権を復活させるのではなく、近代国家と教会の妥協の型を示したものとして、ヨーロッパ各国の政教関係史を理解するうえで欠かせない事例である。