孔穎達
孔穎達(574-648)は、隋末から唐初に活躍した経学者であり、唐代における儒学の国家的整備を担った中心的人物である。とりわけ『五経正義』の総裁として知られ、古来の諸注を校合して官学の標準を定め、経学の教学・試験制度を統一した功績が大きい。唐の政治秩序が再編されるなか、皇帝権力の下で経典解釈を公定化する役割を果たし、以後の東アジアにおける学術と教育の規範を方向づけた存在である。
時代背景と学問的立場
南北朝から隋・唐への転換期は、分裂の余波を収束し、統一王朝の理念を支える思想の標準化が課題となった。ここで求められたのは、経典本文の確定と用語・章句の統一的理解である。孔穎達は、漢魏六朝以来の学統を踏まえつつ、訓詁を基礎に異本を校勘し、雑多な注釈の差異を「正義」として収斂させる方針をとった。個別の新説を打ち立てるより、国家教学の場に適う「通用性」と「整合性」を優先する学問態度が特徴である。
生涯
孔穎達は隋末に学名を挙げ、唐建国後は国学機関に召されて経書の講習・編纂に従事した。貞観年間、太宗の命により経典の標準注疏を編定する事業が進められ、彼はその総括役として選ばれた。チームは先行する古注・今注を渉猟し、重複・矛盾・異文を整理統合して体系化を図った。彼はまた官学の教授にも携わり、教学制度の運用と編纂作業を往復させながら、教科としての経学の骨格を鍛え上げた。648年に没するが、事業は継続され、彼の方針に基づく成果は後年に公定テキストとして広く流布した。
主要業績—『五経正義』の編纂
最大の事績は『五経正義』の編纂である。これは『易』『書』『詩』『礼』『春秋』に関する古来の注解を集成・統合し、国家教学の場で用いる「正義(=標準的注疏)」として定めたものである。個々の経には固有の伝統があり、注家ごとに立場や語義が異なる。孔穎達は、先学の権威を尊重しつつも、対立箇所を並記・比較し、最も妥当と見なす解を中核に据えて全体整合を確保した。これにより、講義・教育・試験における解釈の基準が整った。
- 『易正義』:卦爻辞の語義と象数・義理の調停を志向し、章句の整序を図る。
- 『書正義』:篇章の異同と政治理念の用語を精確化し、史・経の接点を明示する。
- 『詩正義』:音義・地名・制度語の訓詁を整え、篇旨理解の通路を統一する。
- 『礼正義』『春秋正義』:制度・名分に関わる語義を整理し、礼制と歴史叙述の規範性を確認する。
方法と学術的特色
方法上の柱は、(1)本文校勘による信頼度の担保、(2)訓詁・音義による用語の確定、(3)異説の蒐集と「折衷的」提示、(4)教学運用を意識した条理的配列である。ここでは新機軸の理学理論を張り出すより、伝統的素材を制度的に使える形へと「編集」する力量が問われた。孔穎達の「正義」は、細部の実証と章句の可読性を両立させ、学統の継承と国家ガバナンスに資する「公共性の高い学術書」として成立している。
科挙と教育制度への影響
唐代の科挙、とりわけ明経科では、経書の章句理解と用語運用が重視された。『五経正義』はその学習と試験の共通規範を提供し、受験者・教員・試官が共有する参照枠となった。これにより、地域や師門によって解釈が分岐しがちだった経学教育が標準化され、国家運営に必要な共通知識が確保された。孔穎達の仕事は、単なる注疏編纂にとどまらず、知識の制度化と人材選抜システムの安定化に寄与した点に意義がある。
東アジアへの波及
『五経正義』は、唐の文化的威信を背景に広く流布し、朝鮮半島や日本にも伝来した。王朝学校や寺院の学房で参照され、経学講義の枠組みや用語運用に影響を与えた。後世、宋代に入ると朱子学体系が形成され、新たな注解が権威化するが、それでも講読・校勘の基盤として「正義」系統の知見は参照され続けた。東アジアにおける経学教育の長期的持続を支えた点で、孔穎達の影響は世紀を超えて重い。
評価と限界
評価の核心は二点にある。第一に、諸説を統合して「標準」を確立した編集的力量であり、これは政治と教育の接点に立つ唐代学術の結晶である。第二に、独創的理論の開拓よりも通用性を優先したため、新学説の駆動力という側面は限定的であった。しかし、注釈の多様性を秩序化し、官学・科挙・教養社会を貫く共通テキストを提供した意義は揺るがない。孔穎達は、知の公共基盤を築いた編纂者として、東アジア知識史に不可欠の座を占めている。