土断法|現住地で戸籍を定め租税徴発を是正

土断法

土断法は、東晋から南朝にかけて江南政権が実施した戸籍再編政策である。内乱と北方の崩壊により大量の流民・客民が流入し、豪族の私的支配に組み込まれて税・兵役の把握が困難となった。土断法は居住の「土」を基準に戸籍を断ち、実居住地の郡県に編入して課税・徭役・軍役の根拠を明確化し、国家の財政と動員力を回復させた制度である。

歴史的背景

西晋末の永嘉の乱と五胡十六国の成立により、北方の戸籍秩序は崩壊し、難民は長江以南へ移住した。江南の豪族は彼らを客として抱え、生業や防衛を担わせる一方、租税・兵役台帳を国家に提出せず、実数が不明確であった。こうした「民はいるが台帳にいない」状況は課税基盤を脆弱化し、軍制の再建を妨げたため、朝廷は戸籍の再編に踏み切った。

概念と目的

土断法の核心は、出生地や旧籍ではなく現住地で戸籍と役負担を確定する点にある。これにより、豪族・門閥の私属化を解体し、客民を正規の編戸へ組み替えることを狙った。目的は三つ、すなわち課税対象の確定、兵役の平準化、そして地方統治の再編である。結果として、国家は戸数・口数を把握し、財政計画と軍事動員を現実に即して行えるようになった。

施行の手順

  1. 台帳調査:郡県の里正・戸曹が里落・聚落ごとに人員と居住実態を実査する。
  2. 籍貫判定:旧籍を問わず、一定期間の居住実績に基づき現地戸籍へ編入する。
  3. 私属解体:豪族・大戸の客や佃戸を公的な戸口に復帰させ、租調・軍役の負担単位を明確化する。
  4. 移動規制:編入後の無秩序な移住を抑え、郡県の徴発・守備体制を安定化する。

担い手と時期

実施は東晋朝廷の重臣層が主導し、江左の都督・刺史を通じて広域に展開した。動乱の度に人口が流動化したため、土断法は単発ではなく反復的に断行され、劉宋・南斉・梁・陳の南朝各政権でも地域差を伴いつつ継続された。とくに長江下流域や会稽・建康周辺は客民が集中し、断行の効果が大きかった。

税制・軍制への影響

土断法によって賦課と徴発の実数が回復し、租調・徭役・募兵が計画可能となった。編戸の拡大は軍府の兵站を支え、江南政権の対北方戦線や水陸運用を可能にした。一方、豪族の荘園経営への影響は小さくなく、私的保護関係の弱体化により、社会的再編が進んだ。ただし門閥貴族の政治的優位自体は直ちには崩れず、制度効果は段階的であった。

他制度との関係

土断法は土地割当を定めるものではなく、あくまで戸籍・賦役を再編する人口政策である。西晋の占田・課田や、北朝の戸調・均田のような土地・税体系とは対象が異なるが、正確な戸口把握は後世の均田制や租庸調制の基盤となった。すなわち、人口を「どこに属させるか」を先に確定し、その上で地割・賦課を制度化するという順序である。

地域差と限界

江南の開発度や水利・輸送路の整備状況により、実査と編成の達成度には差が出た。山間部や湖沢地帯では把握が難しく、豪族の影響力が残存した。また、戦乱が再発すると人口は再び流動化し、土断法を重ねる必要が生じた。したがって、制度は万能ではなく、継続的な行政能力と地方支配の強化を前提としていた。

社会構造への波及

土断法により、客民は法的に地域社会へ組み込まれ、里・戸・丁の枠組みが実体化した。租税負担の平準化は小農の自立を一定程度支援し、里単位の治安・土木・検断が機能した。他方、断行過程での再編は居住の自由を制限し、移住・離村への抑制が強く働いた点は留意すべきである。

用語と史料

「土」は居住地、「断」は線引き・確定の意である。史料上は断籍・土断などの語が見え、戸籍台帳・郡県文書・官修史の叙述から、複数回の断行と地域的偏差がうかがえる。制度の実相は法令文と地方運用の両面から把握すべきであり、編戸化・客民処遇・豪族支配との相互作用が理解の鍵となる。

歴史的意義

土断法は、動乱後の人口を国家秩序へ再編成するための「戸籍の再建」であった。これは江南国家の財政・軍事・地方統治を同時に立て直す政策的要に位置づき、後代の均田・租庸調の展開を準備した。人口と土地、私的支配と公的統治の境界を引き直す試みとして、古代中国史における国家形成の重要段階を示す制度である。