回回砲|中世イスラム世界の火器

回回砲

回回砲は、13世紀にモンゴル帝国を媒介として東アジアへ伝来したイスラーム系の大型投石機である。英語では“trebuchet”と呼ばれる反重錘式(おもり落下式)の投石機で、梁の一端に大きな錘、他端に投射物を吊るした投擲袋(スリング)を備える。錘を落下させることで高い位置エネルギーを一気に回転力へ変換し、百斤級の石弾や焼夷壺を城壁に叩きつける能力をもった。南宋攻略、とりわけ襄陽・樊城包囲戦や臨安(杭州)降伏過程で破城の決定打を与えたことで名が知られ、以後、元朝の対外作戦における標準的攻城兵器として普及した。なお「回回」はムスリム系技術者の総称で、後世には初期火砲を指す用法も散見される。

名称と起源

「回回」の語はイスラーム世界出身者を指す漢語であり、回回砲は「ムスリム由来の砲(=攻城機)」の意を帯びる。西アジアの工匠は長大な木材加工、綱索・滑車、幾何学的設計に熟達し、モンゴルの遠征網によって東西へ動員された。イル=ハン朝(イル=ハン国)や中央アジアの技術伝播線と中国の工官制が接続され、異文化間の知識移転が実現した点に特徴がある。

構造と作動原理

回回砲は、高い架台に立てた梃子梁、箱型の重錘(しばしば石を充填)、投擲袋、回転軸・軸受、解放ピン角度の微調装置などで構成される。起立させた梁を人力と滑車で引き下げ、解放時に重錘が落下して梁が加速し、スリングが鞭のように開いて弾を放つ。牽引式の「人力投石機」と比べ、①弾量が大きい、②射程と着弾精度が安定、③連続射撃で城壁の同一点を集中破砕できる、という利点をもつ。

  • 標準的性能:200〜300m級の射程、数十〜百数十kg規模の投射が可能。
  • 運用上の要件:熟練工と測量、膨大な木材・綱索、組立と据付の時間、弾庫と補給路の確保。
  • 弱点:移動が難しく、地盤や風向の制約を受ける。守備側の逆土居・吸収盛土で効果が減殺されうる。

モンゴル帝国と元における運用

モンゴルは機動戦だけでなく攻城技術の統合にも長け、南宋攻略では西方工匠団を招致して回回砲を量産した。襄陽・樊城包囲では巨弩・火器と連携して城壁の脆弱部を穿ち、江南の要地攻略でも威力を示した。江南の豊かな生産・運輸基盤(江南)は木材・綱・金具・石弾の供給を支え、運河と海運を束ねた兵站のうえに攻城群が展開した。遠征体系の整備は元の遠征活動全体のテンポと到達圏を押し広げ、城郭戦での決着速度を飛躍させた。

イスラーム世界・地中海圏との接点

西アジアでは十字軍期以来、反重錘式投石機が都市包囲の中核となり、工匠ギルドが各政権に付属した。モンゴル西征でバグダードが陥落すると、攻城機械群の運用法・規格化された木組み・射撃観測の技術が東へも波及した。西南アジアではマムルーク(“Mamluk”)が投石機・火器・弓騎兵を複合し、対モンゴル抗戦で名を上げた(バイバルス)。一方、イラン方面のモンゴル政権(イル=ハン国)も都市攻略で運用を進化させ、東西両端で攻城ノウハウが競合した。アッバース朝の都滅亡(アッバース朝の滅亡)は、攻城技術の破壊力と政治的帰結を象徴する事例として語られる。

東アジア諸地域への波及

回回砲は高麗や雲南・大理方面の作戦でも配備され、東南アジア遠征に伴い熱帯環境での据付・輸送の経験が蓄積された。大越(ベトナム)では、元軍の攻勢に対し機動戦と補給遮断で対抗し、包囲戦術の限界を突いた(例:陳朝(ベトナム))。こうした攻防は、攻城機の純粋な威力だけでなく、地形・疫病・水陸連接の兵站が勝敗を左右することを示している。

技術文化史的意義

回回砲は、数理・工作・測量・後方支援を束ねる「工学的戦争」の到達点であった。城郭側は曲面土塁・傾斜壁・外郭の増設で対抗し、都市設計と軍事建築は相互に改良を重ねた。ユーラシア規模では、モンゴルの交通網と諸ハン国(例:キプチャク=ハン国)を介する人材移動が新技術の普及を促進し、接触地帯では術語や計算法が共有された。技術は単なる兵器にとどまらず、工匠の身分・報酬体系、資材調達、市場の一体化といった社会構造をも変容させたのである。

運用と対抗策の要点

  • 編成:工匠長・測量手・木工・索具手・装填班・観測班を含む常設チーム。
  • 射撃:観測点からの着弾修正、解放ピン角の微調整、同一点集中の破壊。
  • 守備側:逆土居・二重壁・充填土で衝撃吸収、夜間出撃で機械破壊、火攻めで索具焼断。

関連項目