北洋軍
北洋軍は、清朝末期から中華民国初期にかけて北中国を拠点に編成された近代的常備軍であり、北方の軍事力を基盤に政権を左右した武装勢力である。清の伝統的な八旗・緑営が衰退するなか、洋式訓練と最新兵器を導入して創設され、のちに袁世凱の勢力基盤となって、辛亥革命後の北洋政府や軍閥時代の政治構造を規定した点に大きな特徴がある。
成立の背景
19世紀後半、清は列強の侵略と国内反乱に直面し、軍事近代化政策として洋務運動を推進した。その一環として、地方有力官僚であった李鴻章は淮軍を母体に北中国防衛のための常備軍構想を進め、これが後の北洋軍へとつながった。陸軍と並行して沿岸防備のための北洋艦隊も整備され、北方に海陸一体の軍事圏が形成された。
編制と装備の特徴
北洋軍は師団・旅団・連隊といった洋式の編制を採用し、ドイツや日本式の教練法を取り入れた点に特徴がある。兵士には近代小銃や速射砲が与えられ、旧来の冷兵器中心の軍とは質的に一線を画した。また、給与制と階級昇進制度が整えられ、軍人としての専門職意識が育成された。
- 洋式教練と軍楽隊の導入
- 外国人軍事顧問による戦術指導
- 軍事学校を通じた士官教育
日清戦争と軍制再編
しかし、海軍の北洋艦隊が主力となった日清戦争では清朝が敗北し、軍制の欠陥が露呈した。戦後、清朝は陸軍の抜本的改革を進め、各地に新軍が編成されるなかで、直隷地域の新軍が再編強化されて北洋軍の中核となった。ここで頭角を現したのが、直隷総督兼新軍統帥となった袁世凱であり、彼の指揮のもと北洋軍は清朝最強の常備軍へと成長した。
辛亥革命と北洋政府
1911年の辛亥革命が勃発すると、各省で蜂起が広がる一方、首都と北方地域では北洋軍が依然として最大の武力を保持していた。革命派と清朝政府の交渉のなかで、袁世凱は北洋軍を背景に調停者として振る舞い、清帝退位と中華民国成立の過程で主導権を握った。その後、彼は臨時大総統となり、北京に北洋政府を樹立し、政権の実力装置として北洋軍を用いた。
軍閥化と派閥抗争
袁世凱の死後、統一的指揮を失った北洋軍は、直隷派・安徽派・奉天派など複数の派閥に分裂した。各派はそれぞれ有力将軍が率いる軍閥として北京政権の主導権を争い、中国の政治は軍閥抗争の時代に入った。この段階で北洋軍という名は、特定の一軍団というよりも、旧北洋系将兵から成る諸軍閥勢力を総称する語として用いられるようになった。
北伐と北洋軍の終焉
1920年代後半、南方で力をつけた国民革命軍が北伐を開始すると、各地の軍閥は離反や合従連衡を繰り返しながらも次第に劣勢となった。旧北洋軍系の諸勢力もまた、敗北・編入・自壊を通じてその独立性を失い、多くは新たな国民政府の軍制に組み込まれていった。このように、北洋軍は清末の軍制改革から始まり、辛亥革命と北洋政府を経て軍閥時代を生み出し、最終的には北伐によって解体された近代中国政治軍事史の中心的存在であった。