北京の春|北京の壁新聞で見られた、一時的な言論の自由

北京の春

北京の春とは、北京の西単に壁新聞が貼られ、学者や市民が自由に毛沢東批判や文革批判をした、一時的に言論の自由が認められた時期である。華国鋒の時代には黙認されていたが、鄧小平が主導権を握ると弾圧されるようになる。(参考:天安門事件

鄧小平

鄧小平は共産主義国であった中国経済は、経済の自由化を認め、商人に商売を認め、農家には自分の取り分を所有することを認めた。また海外の企業に市場を開放し、中国に会社を作ることを認めた。

言論の自由

経済の自由化、開放を進めたことによって、海外からの情報が入り、言論の自由を求める機運が高まった。海外の実情を知った中国人は、多様な文化とふれあうことになる。

民主の壁

1978年、知識人や学生たちが民主化を求める運動を始め、北京の中心部の一角の「西単」という場所で、壁に民主化を求める壁新聞が貼り出された。知識人や民衆の間で積極的に言論が繰り広げられた。

北京の春

民主の壁には、連日、毛沢東批判や文化大革命を批判する文章、中国に民主化を求める論文が掲載され、多数の市民が壁新聞を読むという光景が見られた。北京に言論の自由が入り混むようになった。多数の市民が毎日この壁新聞を読みに来るようになった。

鄧小平

鄧小平は、北京の春が毛沢東批判や文化大革命批判に対しては容認の姿勢を見せていた。当時は、毛沢東の忠実な後継者であった華国鋒が実権を握っており、批判が華国鋒に向かうことを利用して失脚に追い込んだ。しかし、鄧小平が実権を握ると、鄧小平批判の文章が出るようになり、一転して北京の春を弾圧した。

魏京生

魏京生は北京の春の中心人物であったが、1979年3月、中越戦争に関する機密情報を海外の報道機関に漏らしたとの理由で逮捕された。懲役15年の判決を受け、仮釈放後、さらに懲役14年の判決を受けた。

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