佃戸|地主に従属し地代を納める小作民

佃戸

佃戸は、地主や寺院・官有地の保有者から田地を借り受けて耕作し、収穫物や銭で地代を納める租佃関係の担い手である。唐末から五代を経て商業化が加速し、五代の分裂時代を背景に土地集積と貨幣流通が進むなかで顕著化し、代には江南の高い生産性と市場統合をテコに、契約にもとづく賃租・折納・抽分など多様な負担形態が展開した。自作農に比べて地位は弱いが、隷属身分ではなく、基本的に契約と慣行の枠内で居住・耕作を続ける点に特徴がある。

語義と史料用例

佃戸は「佃(たん・でん)=耕作」「戸=家・課税単位」に由来し、耕作を担う借地農家を指す行政・社会用語である。史料上は租佃(地子・佃租)を負担して地主の土地経営に組み込まれた家を広く含み、寺院・官僚・豪家の大規模荘田に付属する場合も多い。語の射程は時代で揺れがあり、同義の「佃農」「租戸」などと併用されるが、いずれも契約耕作を基軸に理解される。

成立背景

安史以後の税制再編と貨幣経済の深化、ならびに人口移動と土地集積の進展が基盤となった。唐末の両税化を経て、租税と市場の接続が強まり、収穫の一部や現金での地代納入が一般化する。こうした流れは南移する経済重心と結びつき、江南の水田開発・二期作の普及が租佃需要を膨らませた。結果として、地主は資本・灌漑・種籾を提供し、佃戸が労働と技術で応じる分業が成立する。

地域差と生産構造

北方の中原では旱魃と戦乱の影響を受けやすく、賃租を固定化する傾向が強い一方、江南では水利依存度が高いため抽分制(取分制)が広がり、年ごとの豊凶を共同で平準化する仕組みが発達した。首都圏の開封(汴州)周辺では運河流通と結びついた商品作物生産が刺激され、都市の需要が佃戸の就農機会を拡大した。関連地理として中原、江南の都市経済として江南、交通の要衝として汴州が挙げられる。

経済的負担と契約形態

地代は大きく①賃租(一定量の穀・銭を納める)、②抽分(収穫の比率で折半・三七などを定める)、③混合型に分類される。灌漑費・肥料・用役の負担配分、種籾・農具の貸与、荒地開墾の年限免租など細目は地域慣行に依存した。市場化が進むと地代の貨幣化が進展し、遠隔決済・送金の利便化は賃料の安定化に寄与した。歳入構造の変化や為替慣行については両税法、流通金融の実務については飛銭を参照すると理解が深まる。

法制と身分の位置づけ

佃戸は契約上の借地農であり、法的には所有者の私的支配に完全には隷属しない。逃散や契約違反への制裁はあるが、家産として売買される「奴婢」とは本質的に区別される。すなわち人格的隷属よりも物権的・債権的拘束が中心で、居住・耕作の継続を前提に慣行上の更新権・先買権が生じる場合もあった。同時に、耕作放棄・賦課未納には強い圧力がかかり、交渉力の非対称性が社会的脆弱性を生む点は否めない(隷属身分一般は奴婢を参照)。

宋から元・明清への変化

宋代は都市化と流通の拡大を背景に佃戸が広範化し、地主経営・寺院経営の合理化が進む。元代には戸籍再編と戦乱・移住が絡み、荒地復旧や軍需調達にともなう強制性が増す地域が現れた。明清期は地券・契約の普及により地子永固観念が浸透し、一部地域では半ば恒久的な賃借権が慣行化する。もっとも、地域社会の権力関係や司法実務の裁量が、佃戸の保護水準を大きく左右した。

都市・流通との結節

都市の需要は米・綿・桑・油料作物などの商品化を促し、農村—都市間の価格シグナルが契約更新や作付転換を導いた。運河・倉儲・手形による決済は、地代の銭納化と租佃の広域化を支え、耕地の細分と再編を加速した。江南水郷の干拓・圩田造成は地主の資本蓄積と技術投資を必要とし、その成果を佃戸の労働と結びつけて回収する循環が形成された。

用語上の注意(比較)

佃戸は中国史の契約耕作民を指す用語であり、日本中世の作人・名子、近世の小作や永借・年季雇などとは制度的背景が異なる。文献上の同義・類義語(佃農・租戸・客戸等)は地域と時期でニュアンスが異なるため、契約(地子・抽分・免租年限)、戸籍(良賤・編戸)、居住移動の自由度という三点を手掛かりに具体の史料文脈で判別することが有益である。