二月革命
二月革命は、1848年2月にパリで起こり、七月王政を倒してフランス第二共和政を成立させた革命である。選挙権拡大や言論の自由を求める市民・労働者が蜂起し、ルイ=フィリップ王の退位と共和制樹立を実現した。この革命は、ヨーロッパ各地に波及した1848年革命の出発点ともなり、近代フランス政治史に大きな転換をもたらした。
背景
フランス革命とナポレオン戦争後、ヨーロッパは保守的なウィーン体制のもとにあった。フランスでは1830年の七月革命の結果、「市民王」ルイ=フィリップを戴く七月王政が成立したが、政権を支えたのは限られた有産層のブルジョワジーであり、納税額を条件とする制限選挙のもとで政治的排除が続いた。工業化が進むなかで失業や物価高に苦しむ都市のプロレタリアートも増加し、社会不安が高まっていた。
こうした状況のもとで、野党勢力は選挙権拡大を求める選挙法改正運動(フランス)を展開した。政府批判が禁じられていたため、人々は政談を兼ねた改革宴会を各地で開催し、平和的な圧力によって選挙制度の改革を迫ろうとした。しかし保守的なギゾ内閣は要求を拒み、1848年2月には予定されていた改革宴会を禁止したことで、政権への不満は頂点に達した。
革命の勃発と王政の崩壊
宴会禁止に反発したパリ市民は街頭に繰り出し、デモ行進やバリケード築造を行った。政府は軍隊を動員して鎮圧を図ったが、発砲事件を契機に民衆の怒りは一気に爆発し、国民衛兵の一部も反政府側に合流した。情勢悪化を恐れたルイ=フィリップ王は退位して国外に亡命し、七月王政はあっけなく崩壊した。この瞬間に二月革命は勝利し、王政から共和国への体制転換が現実のものとなった。
臨時政府と第二共和政の成立
王政崩壊後、自由主義者や急進共和派、社会主義者などから成る臨時政府が成立し、フランス第二共和政が宣言された。臨時政府はまず男子普通選挙の実施、言論・集会の自由の保障、奴隷制廃止など、社会主義思想の影響も受けた改革を打ち出した。さらに社会問題の解決を掲げたルイ=ブランの提案により、失業対策として国立作業場が設けられ、多くの労働者が公共事業に雇用された。
- 男子普通選挙の導入
- 言論・出版・集会の自由の拡大
- 奴隷制および身分的不平等の是正
- 国立作業場による失業救済政策
社会対立と六月蜂起
しかし、急進的な都市労働者と農村を基盤とする保守的な中産層・農民との対立は根深かった。国立作業場の費用負担や治安悪化への不安から、議会では国立作業場の廃止が決議され、1848年6月、パリの労働者はこれに抗議して武装蜂起した。政府軍と労働者の激しい市街戦は「六月蜂起」と呼ばれ、最終的に政府側が勝利して国立作業場は解体され、第二共和政は次第に保守化へと向かっていった。
第二共和政から第二帝政へ
六月蜂起鎮圧後、秩序回復を望む世論の高まりのなかで、ナポレオンの甥ルイ=ナポレオンが大統領に選出されると、政権は徐々に権威主義的となった。彼は1851年のクーデタを経て翌年には皇帝ナポレオン3世として即位し、第二共和政は第二帝政へと転換した。この過程は、フランス革命以降の共和主義と権威主義のせめぎ合いを象徴する出来事として、近代フランス政治史に位置づけられている。
ヨーロッパ史における意義
二月革命は、フランス国内にとどまらず、ドイツ諸邦やイタリア、オーストリア帝国などに次々と波及し、全欧的な1848年の動乱を引き起こした。自由主義や民族自決を求める運動が一斉に噴き上がったことから、この時期はしばしば「諸国民の春」と呼ばれる。たとえ多くの運動が最終的には弾圧されたとしても、立憲主義や国民国家形成、労働者運動の発展など、19世紀後半の政治・社会変動の方向性を示した点で、1848年革命とともにきわめて重要な節目であったと評価されている。
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