中国仏教
中国仏教は、インド起源の仏教が漢字文化圏に適応し、古代から近世にかけて独自の教理・修行・制度・美術を形成した伝統である。前漢末から後漢にかけて西域経由で経典と僧侶が渡来し、魏晋南北朝期の混乱のなかで救済思想として浸透し、隋唐で国家の保護を受けて大成した。経典の漢訳、戒律と僧団制度、在家信仰の発達、そして天台・華厳・三論・法相・禅・浄土・真言などの宗派分化が主要な特色である。宋以降は禅が知識人社会に広がり、明清には在家功徳や念仏が民間宗教と交錯した。
受容の始まりと漢訳の展開
後漢明帝の仏教受容伝承に象徴されるように、初期の受容は西域僧の布教と共に進んだ。三国から西晋にかけては仏図澄や鳩摩羅什が訳経と教理整備に大きく寄与し、サンスクリット語やプラークリット語の教えを漢語の概念枠に置き換える意訳が発達した。訳語の統一は経典理解を促進し、講経・義疏・注釈の学術を生んだ。
宗派の成立と教理の特徴
隋唐期は宗派成立の黄金期である。天台は一乗思想と止観、華厳は法界縁起、三論は中観思想、法相は唯識、真言は密教の加持と灌頂、浄土は阿弥陀信仰と念仏、禅は不立文字・直指人心を掲げた。これらは相互に交流しつつも、修行体系と経典選択で差異を示した。
国家と仏教の関係
中国の王朝は仏教を統制資源として用いた。僧尼登録や度牒の発行、僧綱・僧録司による管理が制度化され、国家鎮護の祈祷や法会が政治と連動した。一方で、北魏・北周・唐の「三武一宗」の法難のように抑圧も周期的に起こり、寺院の経済力や土地占有がしばしば問題化した。
僧団・戒律・教育
受戒は僧団の正統性を保証し、道宣をはじめとする律学の整備が厳格な規範を与えた。寺院は講堂と蔵経を備え、戒定慧の三学を基礎に教学と実践を両立させた。訳経場や翻経院が知の拠点となり、学僧は注釈書を著し、仏典目録が文献学の基盤を築いた。
在家信仰と社会経済
功徳思想は布施・造像・写経・斎会を促し、都市商人から農村共同体まで広く浸透した。寺院は救貧・医療・橋梁建設などの公益を担い、香・紙・印刷など関連産業も発達した。回向や追善は祖先祭祀と接続し、仏教は家族・村落秩序の一部となった。
禅の普及と文人文化
唐宋移行期、禅は公案と看話の工夫により師家の語録を重視し、簡素な実践で士大夫に受容された。茶・書画・文房具と結びついた禅的美意識は、寺院の清規と静謐な空間デザインにも反映され、山林の叢林制度が学問と修行の生態系を形成した。
浄土信仰と民間の広がり
曇鸞・道綽・善導に連なる浄土教は、念仏と阿弥陀の本願を中心に、易行の救済を強調した。明清には念仏結社や善書流布を通じて倫理実践と結びつき、女性や高齢者を含む広い層に精神的支えを与えた。
密教の受容と儀礼
唐代の真言密教は曼荼羅・真言・印契を用いる儀礼体系を導入し、国家鎮護や息災・増益・除災の祈祷に大きな影響を及ぼした。灌頂・護摩・法具は中国的装飾と融合し、絵画・彫刻・工芸に象徴体系をもたらした。
仏教美術と建築
石窟寺院は雲崗・竜門・敦煌に典型が見られ、塑像と壁画が経典世界を可視化した。木造建築の殿堂や多層塔は儀礼空間を構成し、造像記や施主銘が社会史資料として重要である。造像規範は時代様式を反映し、唐の豊麗から宋の端正、明清の装飾性へと推移した。
文献流通と印刷
唐末から宋代にかけて木版印刷が普及し、蔵経の刊刻が各地で進んだ。目録編纂や版本比較が進展し、伝法の一貫性と可及的な頒布が可能となった。版本の異同は校勘学を促し、学僧の往来と書籍交易が知のネットワークを広げた。
対外交流と東アジア
シルクロードの交易と海上航路により、インド・西域・中央アジアの学僧が往来した。玄奘や義浄の求法は原典への回帰を促し、朝鮮・日本への伝播は東アジア仏教圏の形成に寄与した。経典・法衣・制度は地域ごとに受容と再編を受けた。
法難と再編
度重なる廃仏は寺院の資源再編を促し、僧俗の関係を再調整した。弾圧後には教学の精緻化や在家信仰の深化が進み、政治と宗教の距離感が再定義された。これにより宗派は柔軟な適応力を獲得した。
総合的意義
中国における仏教は、外来思想の移植にとどまらず、漢字文化による再解釈と制度化を経て、政治・社会・芸術・知の各領域に横断的な影響を及ぼした。宗派間の相補と競合、国家との緊張と協働、民間信仰との相互作用が重層的に絡み合い、東アジア宗教史の中核をなす伝統を築いたのである。