上京竜泉府
上京竜泉府は、8世紀半ばに渤海の首都として整備された都城である。中国東北部(現在の黒竜江省寧安市近郊)に位置し、山麓の台地と湧水に恵まれた地勢を活かして築かれた。都市計画は唐代都城制の強い影響を受け、南北中軸線に沿って宮城・皇城・外城を配し、城門・街路・市場・寺院・官庁が秩序的に配置された。渤海は靺鞨系の伝統と唐文化を折衷し、対外的には唐・新羅・日本と通交した。政治・儀礼・経済・文化の中心としての上京竜泉府は、東北アジア都城史において独自の位置を占める。
成立と立地
渤海は大祚栄の建国(7世紀末)後、内陸交通と防衛に優れた拠点を求め、8世紀半ばに上京竜泉府を本拠として整備した。台地上の堅固な地盤は版築城壁の築造に適し、周囲の湧水(「竜泉」の名の由来)と河川は飲用・潅漑・排水に資した。ここは松花江・牡丹江・図們江流域をつなぐ陸路・水路の結節点でもあり、北方の草原・森林資源と南方の農耕地帯を結ぶ交易のハブとして機能した。
名称と表記
史料上では「上京龍泉府」とも記されるが、本稿ではユーザー入力に従い上京竜泉府とする。「上京」は多京制における最上位の都を指し、「竜泉」は城域・近傍に湧出する清泉に由来する。英語表記はShangjing Longquanfu。
都城構造と都市計画
上京竜泉府は南北中軸線を基調とする三重構造(宮城・皇城・外城)を備え、唐の長安・洛陽の理念を受容しつつ地域性を反映したプランを採用した。主要街路は城門と正殿を結び、坊里は整然と区画される。市は官の監督下に置かれ、度量衡や税の規制が及んだ。瓦葺・基壇建築が普及し、木構架は寒冷地に適う断熱・排雪を意識して設計された。
- 宮城:王権の象徴である朝堂・寝宮を置き、儀礼空間と政務空間を厳格に分節した。
- 皇城:中枢官庁と貴族邸宅が集まる行政・儀礼の回廊で、行幸路と鼓楼・門楼が軸線を形成した。
- 外城:坊里・市場・工房・寺院が分布し、職能ごとの区画が作業音・煙害の分離を可能にした。
水利・景観・インフラ
「竜泉」の名が示す通り湧水を核に池・導水渠・排水路を構築し、城下の湿潤地を可耕地へ転換した。冬季凍結に備え橋梁・路面は耐荷重と融雪流路を計算して築かれ、夜間の風雪を避ける回廊状の通路も考案された。
政治・行政機能
上京竜泉府は王権の権威を演出する儀礼の舞台であると同時に、文武官僚が執務する行政中枢であった。渤海は唐の制度を参照しつつ在地の首長層を編入し、多京制(上京・東京・南京・中京・西京)を運用して広域支配を実現した。冊封体制下での外交儀礼は上京で整えられ、勅使の接伴、貢賜の分配、暦・制度の授受が行われた。
経済と交易
城下の農耕は粟・麦・大豆・麻を中心とし、牧畜・狩猟・漁撈・林産との複合生業が特徴であった。工房では鉄器・漆器・織物・瓦・陶器が生産され、市場は毛皮・蜜蝋・人参・魚皮紙など北方特産で賑わった。対唐交易の多くは東部の港市を介したが、内陸の上京竜泉府は物資・情報の集配と価格形成の役割を担い、新羅や日本との交流とも連動した。
宗教・文化と都市生活
仏教は宮廷から庶民に及び、塔心礎・伽藍基壇・瓦当文様などの遺構・遺物が知られる。漢字文化の受容により詩文・法令文書・記録行政が発達し、衣服・器物・建築意匠に唐風が浸透した。他方、靺鞨系の装飾・楽舞・葬送儀礼は固有の美意識を保持し、都城文化は折衷的な洗練を帯びた。
考古学の成果
発掘では版築城壁、門址、柱穴列、玉石敷きの園池、大型建物基壇、瓦当・鴟尾、墨書土器、青磁・灰釉陶、鉄滓や鏃が出土する。出土銭貨(例:開元通宝)は対外流通の証左であり、年代観は土器型式・建築技法・炭素年代の総合で組み立てられている。城域の測量は近代以降反復され、城郭規模や街区割の復元精度が高まった。
対外関係と軍事
北方の契丹や女真諸族との関係は防衛・交易の両面で複雑であった。上京竜泉府は騎兵運用を考慮した外郭と野戦の拠点を持ち、城門前の広場は軍儀・閲兵の空間となった。10世紀初、契丹の圧迫と海陸の交通再編のなかで渤海は衰退し、926年の滅亡後、上京一帯も政治的中枢性を失っていった。
史料と記録
渤海の都城に関する情報は『旧唐書』渤海伝・『新唐書』渤海伝、日本側の『続日本紀』『日本後紀』に見える渤海使の記事などから補える。地名や官制の用語は唐制の語彙を踏まえつつ在地化され、金石文・瓦当銘・木簡等の考古資料が行政・儀礼の実像を照らす。
地理環境と交通ネットワーク
上京竜泉府は山地と平原の境界に位置し、森林資源・野生生物・農耕地を統合する経済圏の中心として成立した。冬季には河川凍結が陸上路の延長として機能し、夏季は水運が物資の大動脈となる。東の港市(東京方面)との連絡は海上交易を活性化し、南の新羅方面や西の内陸交易路とも結びついた。
後世の評価と学術的位置
唐風都城制の受容と北東アジア的応用を体現する事例として、上京竜泉府は重要である。整然たる都市骨格、制度と儀礼の演出、自然環境に適応したインフラは、東アジア都城史・比較都市史・国際交流史の交点に位置づけられる。渤海研究の進展とともに、城域計測・年代論・社会構成の復元は今なお深化を続けている。