ロイド=ジョージ|第一次大戦期のイギリス首相

ロイド=ジョージ

ロイド=ジョージは、20世紀前半のイギリスを代表する自由党政治家であり、第一次世界大戦期の首相として戦時内閣を率いるとともに、福祉国家の先駆けとなる社会改革を推進した人物である。ウェールズ出身の弁護士から政界に進出し、急進的自由主義にもとづく富の再分配や社会保険制度を構想し、「人民の予算」と呼ばれる財政改革や国民保険制度を実現した。また、ボーア戦争後の帝国政策やヨーロッパ外交に深く関与し、パリ講和会議ではドイツへの賠償問題をめぐりフランスやアメリカとの間で複雑な調整を行った。

生い立ちと政治への出発

ロイド=ジョージはウェールズの貧しい家庭に生まれ、ロンドンで弁護士資格を取得したのち、ウェールズの地方社会で弁護士として活動した。非国教徒でウェールズ民族意識が強かったことから、国教会中心のイングランド支配に批判的であり、早くから自治拡大や宗教・教育の平等を求める運動に参加した。この地方政治での経験が、後に土地所有制度や貴族院の特権を批判する急進的自由主義の基盤となった。若くして庶民院議員となった彼は、農民や労働者、中小市民の利益を代弁する弁舌で頭角を現し、自由党内の急進派として知られるようになった。

急進的自由主義と社会改革

財務相に就任したロイド=ジョージは、富裕階層と大土地所有者に累進課税や相続税を強化する「人民の予算」を提出し、社会政策の財源確保を図った。この財政改革は貴族院との激しい対立を招き、やがて貴族院の拒否権を制限する議会法の制定につながる。彼は、医療や失業に対する保険制度を導入する国民保険法の立案にも中心的役割を果たし、国家が最低限の生活保障を提供するという発想を具体化した。このような改革は、後の福祉国家政策の原型をなし、同時代の社会主義運動やサルトルニーチェらが議論した社会正義や人間の自由の問題とも響き合うものであった。

第一次世界大戦と戦時内閣

第一次世界大戦が勃発すると、当初はアスキス内閣のもとで軍需大臣や陸軍担当閣僚として兵站・生産体制の整備にあたったロイド=ジョージは、戦争の長期化と犠牲の増大に対応できない従来内閣への不満が高まる中で、新たな戦時内閣の首班に選ばれた。彼は少数の閣僚に権限を集中させる「戦時内閣」方式をとり、兵器生産、徴兵制、食糧統制、海上輸送の管理などを強力に推進した。また、フランスやロシアとの協調のもとで連合国の戦略を調整し、アメリカ参戦後はワシントンとの連携を重視して戦争遂行を進めた。

パリ講和会議と戦後秩序

1918年の勝利後、ロイド=ジョージはイギリス代表としてパリ講和会議に参加し、フランスの安全保障要求とアメリカの民族自決原則との間で妥協点を探る役割を担った。彼はドイツに対する過大な賠償要求がヨーロッパ経済を不安定化させることを懸念しつつも、国内世論の対独強硬論にも配慮しなければならなかった。このため、講和条約はドイツに重い負担を課しながらも、完全な分割や解体は避ける中途半端な形となり、その後の国際秩序に不安定な要素を残したとされる。同時に、彼は中東や植民地地域の再編にも関与し、イギリス帝国の勢力圏拡大と民族運動の台頭という矛盾した構図を生み出す一因となった。

自由党の分裂と政治的黄昏

戦時内閣を率いたロイド=ジョージは、保守党との連立を背景に首相の座を維持したが、そのことは自由党の伝統的指導者層との対立を深めた。アスキス派とロイド=ジョージ派の分裂は自由党の弱体化を決定づけ、労働党が新たな大衆政党として台頭する余地を与えた。戦後の不況、失業問題、アイルランド問題への対応をめぐって政府は批判を受け、最終的に保守党は彼と距離を置くようになる。こうして彼は首相の座を追われ、以後は影響力を残しつつも、かつてのような主導的地位に戻ることはなかった。

思想的背景と評価

ロイド=ジョージの政治思想は、クラシカルな自由主義にもとづく個人の自由尊重と、貧困や失業を放置しない国家的責任の結合に特徴がある。彼は社会主義やマルクス主義のような階級闘争論には立たず、資本主義の枠内で課税と社会保険を通じて格差を是正しようとした。この「社会改良」の路線は、ヨーロッパの思想史において、急進的な哲学者たち――たとえばサルトルニーチェが問題にした自由と責任のテーマとも重なりあう面をもつと評価されることがある。一方で、戦時指導者としての彼は、徴兵や統制経済など強権的な政策を推進し、多くの犠牲を前提とした「総力戦」の政治を体現した人物でもあった。社会改革の先駆者と戦時指導者という二つの側面を併せ持つ点にこそ、彼の評価の複雑さと、20世紀前半イギリス史における重要性が示されている。