メキシコ銀
メキシコ銀は、16世紀以降のスペイン帝国および近代メキシコで鋳造された銀貨・銀地金を指し、アメリカ大陸で産出された大量の銀が世界経済に流れ込む過程で中心的な役割を果たした貨幣である。メキシコ中部の銀山で産出した銀は、スペイン本国を経由してヨーロッパに向かうだけでなく、アカプルコとマニラを結ぶガレオン貿易を通じてアジアにも運ばれ、中国や日本、東南アジアで広く受け入れられた。一定の品位と重量を保ったメキシコ銀は信頼性の高い国際通貨として機能し、近世から19世紀にかけての「銀のグローバル化」を象徴する存在となった。
植民地メキシコと銀山開発
メキシコ銀の背景には、スペインによる植民地支配と銀山開発の進展があった。アステカ帝国征服後、スペイン人はサカテカスやグアナフアトなど内陸部の銀山地帯を開発し、先住民やアフリカ系奴隷を動員して採掘を拡大した。新大陸で産出した銀は王権の重要な財源となり、ヨーロッパでの戦争や宮廷財政を支えるとともに、ヨーロッパ諸国の対外貿易を可能にした。銀鉱石の精錬には「パティオ法」と呼ばれる水銀を用いた技術が採用され、生産量は飛躍的に増加し、やがて世界の銀供給の大部分をメキシコが担うようになった。
銀貨としてのメキシコ銀
メキシコ銀は、原料としての地金だけでなく、標準化された銀貨として国際流通した点に大きな特徴がある。スペイン帝国期には「8レアル銀貨(ピース・オブ・エイト)」が鋳造され、一定の重量と純度を保った銀貨として広く流通した。独立後のメキシコでも、その伝統を引き継いだ銀貨が鋳造され、表面意匠は変化しながらも重さと品位は継承され、各国の商人から信頼を得続けた。こうした銀貨はしばしば「メキシコドル」とも呼ばれ、各地の市場で他通貨の基準として扱われた。
大西洋世界とアジアを結ぶメキシコ銀
メキシコ銀は、大西洋世界とアジアを結ぶ長距離交易の要として機能した。大西洋側では、メキシコやペルーからの銀がセビリアなどスペインの港に集まり、そこからヨーロッパ諸国やオスマン帝国へと再分配された。一方、太平洋側では、アカプルコ港からマニラ行きガレオン船が出航し、積み込まれたメキシコ銀は、マニラに集まった中国商人や東南アジアの商人によって絹織物・陶磁器・香辛料などと交換された。このようにメキシコ銀は、アメリカ・ヨーロッパ・アジアを結ぶ「シルバー・ルート」の中核に位置づけられる。
東アジアにおけるメキシコ銀の受容
東アジアでは、銀が租税や商取引の基準として重視されていたため、品位が安定したメキシコ銀は高い需要を持った。明末・清朝期の中国では、地税や人頭税を銀で納める制度が定着しており、海外から流入した銀は国内貨幣経済の拡大を支えた。日本でも、江戸時代から幕末にかけて対外貿易においてメキシコ銀やそれに準じる洋銀が用いられ、明治維新後には、メキシコ銀貨をモデルにした貿易銀や円銀が鋳造されるなど、その影響は近代通貨制度にも及んだ。東南アジアでも、港市を中心にメキシコドルが一般の決済手段として用いられ、地域通貨の事実上の標準となった。
金本位制とメキシコ銀の衰退
19世紀後半になると、イギリスやドイツ、日本など多くの国が金本位制を採用し、銀価格は国際的に下落していった。これに伴い、銀本位に依拠していた各地の通貨制度は見直され、各国は独自の近代通貨を整備してゆく。メキシコでも通貨制度の再編が進み、かつて世界的に流通したメキシコ銀は次第に国際通貨としての地位を失っていった。しかし、近世から近代にかけて世界規模で流通したメキシコ銀の歴史は、ヨーロッパ中心の視点だけでは捉えきれないグローバルな経済史を考えるうえで、現在も重要な研究対象となっている。