ミケーネ王国
ミケーネ王国は、ギリシア青銅器時代において最も影響力を持った文明の一つである。主にペロポネソス半島を中心に、紀元前1600年頃から紀元前1100年頃にかけて栄えたと考えられている。この時代のギリシア本土は、強固な城壁や華麗な宮殿群、そして貴族たちの豪華な副葬品などが特徴であり、その後の古代ギリシア文化にも大きな影響を与えた。19世紀にドイツの考古学者シュリーマンがトロイ遺跡を探求する過程でミケーネ王国の遺跡を発掘し、ホメロスの叙事詩との関連が取り沙汰されてから大きな注目を集めるようになった。
起源と名称
ミケーネ王国の名称は、ペロポネソス半島北東部に位置するミケーネの都市名に由来すると言われている。そこに住んでいたアカイア人は、エーゲ海周辺に先行していたクレタのミノア文明から多くを吸収しながら、自らの文化を成熟させていった。こうした移行期には、航海技術の発展や交易ルートの確立が重要な役割を果たしたとされ、ギリシア本土で力を拡大していった彼らが築いた共同体が、後にミケーネ王国として歴史に名を残すことになった。
歴史的背景
アカイア人によるミケーネ王国は、交易と軍事力によって大きな勢力圏を形成し、地中海世界全体との交流を深めた。トロイとの関係はホメロスの叙事詩「イリアス」にも描かれ、トロイ戦争の伝承が事実と結びついている可能性を示唆する。紀元前1400年頃にはクレタ島の中心地クノッソスも影響下に収め、エーゲ海を一大勢力圏として支配したと推測されている。
主要な都市
ミケーネ王国を代表する都市には、ミケーネのほかにティリンス、ピュロス、テーベなどが挙げられる。各都市には巨石を積み上げた頑丈な城壁や、複雑な構造をもつ宮殿が建造されていた。特に「獅子門」が有名なミケーネは、その華麗な建築技術を示す遺跡の象徴と言える。また、ピュロスの遺跡からは行政管理を物語る多数の粘土板が見つかっており、社会構造や政治形態を理解するうえで重要な手掛かりとなっている。
考古学的発見
19世紀後半、シュリーマンはトロイ遺跡だけでなくミケーネ遺跡でも精力的に発掘を行い、豪華な黄金のマスクや豊富な墓地遺構を発見した。これによりホメロスの叙事詩が単なる神話にとどまらず、ある程度の歴史的背景をもつ可能性が高まった。後に他の考古学者たちも宮殿遺跡の詳細な調査を実施し、都市構造や経済活動が明らかになるにつれてミケーネ王国への注目はさらに高まった。
経済と文化
- 大規模な宮殿経済: 宮殿が中心となり、農作物や手工業製品を集中的に管理するシステムが確立されていた。
- 交易の発展: エジプトやアナトリア半島、キプロスなどと広域交易を展開し、金属や香料、織物などをやり取りしていた。
- 芸術と建築: 雄大な城壁や石造りの墓、精巧な金工品が制作され、独自の美術様式が花開いた。
線文字Bの解読
ミケーネ王国で行政記録などに用いられた文字は、クレタ島に起源をもつ線文字Bと呼ばれる。1950年代、イギリスの建築家ヴェントリスらの研究によって線文字Bはギリシア語を表す文字体系であると判明し、当時の経済や社会組織に関する理解が劇的に進んだ。粘土板に残された膨大なデータは、農業生産や祭祀、管理体制の詳細を読み解く手掛かりとなっている。
衰退と影響
ミケーネ王国は紀元前1200年頃に突如として衰退の道をたどりはじめ、王宮の焼失や都市の荒廃とともに力を失っていった。海の民や各地の動乱の影響、さらに内的な社会混乱や経済破綻など、衰退の要因をめぐる議論は現在も続いている。しかしその文化的遺産は、後に成立するポリス社会やギリシア神話の形成に多大な影響を及ぼしたと考えられている。