マラーター同盟
マラーター同盟は、18世紀後半から19世紀初頭にかけてインド西部を中心に勢力を伸ばしたマラーター系諸侯のゆるやかな連合体である。デカン高原に成立したマラーター王国の後継勢力として、プネの宰相ペーシュワ家を名目的首長としつつ、シンディヤ家・ホールカル家・ボーンスレー家・ガーイクワード家など有力家門が半独立的な支配を行った。彼らは衰退期のムガル帝国に代わって北インドへ進出し、一時はデリーの政治にも深く介入したが、最終的にはイギリス東インド会社との抗争に敗れ、19世紀初頭までにその政治的自立を失った。
成立の背景
マラーター同盟の背景には、デカンにおけるマラーター勢力の台頭と、アウラングゼーブ死後のムガル帝国の急速な弱体化がある。17世紀後半、マラーターの英雄シヴァージーは山岳地帯の砦を拠点にゲリラ戦を展開し、デカン各地に分散していたヒンドゥー諸勢力をまとめあげた。その後、王家の内紛と長期の戦争によって王権は相対的に弱まり、代わってプネに拠った宰相ペーシュワ家がマラーター政治の中心として台頭する。こうして、マラーター支配は一人の君主による「王国」から、有力諸侯の連合体へと構造を変化させていったのである。
構成勢力と政治構造
マラーター同盟は、形式上はプネのペーシュワが全マラーター勢力の宗主として位置づけられたが、実態は複数の諸侯家門による分権的な連合であった。各家門は独自の徴税権と軍事力を保持し、ペーシュワに対して貢納と軍事的協力を行うことで連合の枠組みを維持した。このため、同盟内ではしばしば利害の対立や内紛が生じ、対外戦争の局面でも足並みがそろわないことがあった。
主要諸侯家
- ペーシュワ家(プネ)―名目的首長としてデカン西部を支配
- シンディヤ家(グワーリヤル)―北インド進出の主力となり、デリー支配に関与
- ホールカル家(インドール)―マールワ地方を支配し、騎兵軍団で知られる
- ボーンスレー家(ナーグプル)―デカン東部からベンガル方面に影響力を拡大
- ガーイクワード家(バローダ)―グジャラート地方の財政基盤を掌握
北インド進出と第3次パーニーパットの戦い
18世紀中葉、マラーター同盟は衰退するムガル帝国の権威を背景に、「ムガル皇帝の保護者」として北インドへ進出した。シンディヤ家などはデリーを掌握し、実質的な政権運営に関与する一方、チャウスと呼ばれる徴税権を各地に要求し、その支配圏はインド亜大陸の広範囲に及んだ。しかし1761年、アフガンのアフマド・シャー・ドゥッラーニーと衝突した第3次パーニーパットの戦いでマラーター軍は大敗し、多くの有力指導者を失う。この敗北はマラーター勢力の北インド支配構想に大きな挫折を与え、同盟の内部抗争を一層激化させる契機となった。
イギリス東インド会社との抗争
18世紀後半になると、ベンガルやマドラスに拠点を築いたイギリス東インド会社がインド政治の新たな担い手として台頭する。マラーター同盟は、しばしばインド地方勢力の台頭を牽引する存在として他の諸勢力と連携しつつ、イギリスの勢力拡大に対抗したが、その過程で三度にわたる英マラーター戦争が勃発した。
三度にわたる英マラーター戦争
- 第一次英マラーター戦争(1775–1782年)―ペーシュワ継承問題に東インド会社が介入し、講和後も相互不信が残った。
- 第二次英マラーター戦争(1803–1805年)―ワジェー・ラーオ2世やシンディヤ家・ボーンスレー家が敗北し、広大な領土を割譲、イギリスの影響力が飛躍的に拡大した。
- 第三次英マラーター戦争(1817–1818年)―ペーシュワが最後の反英挙兵を行うも鎮圧され、ペーシュワ位は廃されてプネは直接支配下に置かれた。
社会経済と文化への影響
マラーター同盟は軍事的征服と徴税を通じて広大な地域を結びつけ、デカン・グジャラート・マールワ・ガンジス中流域などを結ぶ商業ネットワークの発達を促した。彼らの支配は農村社会に重い負担をもたらした一方で、都市や交易路の発展を通じて商人・金融業者の台頭を助けた側面もある。また、宮廷や諸侯の保護のもとで、マラーター語文学やヒンディー語・ウルドゥー語・ペルシア語の文芸が混淆し、北インドとデカンの文化は相互に影響を与えた。ムガル宮廷文化と結びついたムガル絵画やラージプート絵画の伝統も、マラーター諸侯の宮廷を通じて受容・変容したと考えられている。
歴史的意義
マラーター同盟は、イスラーム王朝であるムガル帝国の衰退後、地域勢力が連合しつつ広域支配を試みた試行の一つとして位置づけられる。その支配はしばしば苛斂誅求として批判されるが、同時にインド亜大陸における政治の重心がデリー一極から複数の地域中心へ分散してゆく過程を体現していた。最終的にイギリス東インド会社との抗争に敗れたことによって、インドは植民地支配に向かうが、その過程で培われたマラーターの軍事力と統治経験は、のちのインド近代史、さらには民族運動の記憶においても重要な位置を占めている。こうしてマラーター同盟は、前近代インドから植民地期へと至る大きな転換期を象徴する政治勢力として評価されているのである。